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春雷

【春雷】
 竜王の嫁になるという名誉はまやかしだった。
 娘は目の前で襲われる男を見て殺されろ、殺されろ、と呪う。そうすれば私は死なずにすむのだ。殺されろ。殺されろ。殺されろ……。

 そして娘の願いは別の形で叶うこととなった。
 突如、村に来ていた鬼狩りを名乗る侍が現れ揉み合っていた男らを気絶させたのだ。
 侍は娘に近づき猿轡を取った。ボトボトと唾液が垂れ咳込む娘に「鬼はもういない」と語りかけながら手を縛っていた縄も切る。
 ぶつんと縄が切れる音が聞こえ、娘の目からぼろぼろ涙が溢れた。侍は娘を宥めるように「大丈夫だ」と繰り返しながら足の縄を切ろうとした。

 しかし娘が安堵したのもつかの間、腰を抜かしていた男が侍に小刀で切りかかった。侍は男を軽くいなすが、意識が娘から逸れたその一瞬の間に男は娘に池に突き飛ばした。

 娘は今度こそ池に落とされた。
 遠のく意識の中で見えたのは、侍が己に手をのばす姿。そして娘を縛った村の男が侍の長い髪や腕を掴む姿だった。
 侍の手が娘から遠のいてゆく。

 怒りと憎しみで体中の血が沸騰した。
 ミシミシと音を立てて内側から己が何かになるのを感じた。

 そうして娘は竜となった。
 竜は天にのぼり雷鳴を轟かせる。そして稲妻になり空を駆けた。



***


 煉獄は若い剣士からの報告を読み、ほっと息をついた。
 剣士は無事に帰還した。一方で行方不明となった彼の師であった剣士は死んだ。無念の死だっただろう。


 若い剣士によると、今回の黒幕は鐘撞きの男だったそうだ。

 鐘撞きの男が語ったことによると、村には竜王に娘を捧げる風習があったそうだ。竜王に嫁ぐのは名誉なことで、男の姉は何年か前にそれに選ばれた。
 姉はそれを誇りに思い最後の日まで凛と美しく微笑んでいたが、男はそうではなかった。男は姉を失いたくなかった。
 そこに現れたのが鬼狩りの侍――継国巌勝だったそうだ。

 男は巌勝に頼み込んだ。どうか姉を助けてほしい。とても優しい姉なのだ、あんまり哀れだ。そう頼んだ。
 巌勝は難しい顔で、贄に選ばれた娘が死にぞこない村で生きてゆくことはできないだろうが他に行く宛てはあるのか、と訊いたそうだ。どこにも行く宛てはないが命さえあれば姉弟二人で逃げて生き延びる。男はそう言ったが巌勝はやっぱり難しい顔をしていたらしい。
 万が一鬼が出たならばどさくさに紛れて姉を逃してやれる。しかしそうでなかった場合はあまり期待するなと告げたという。

 男は鬼が出ることを天に祈った。姉を池まで連れて行く村の男たちが鬼に食われてしまえばいいとさえ思った。
 しかしそれは叶わなかった。

 男は姉が無理やり池に沈められそうになるのを見ていてもたってもいられなくなった。
 小刀を持って飛び出し姉の腕を掴んでいた男に斬りかかった。武術の心得があるわけでも無しに、男はめちゃくちゃに振り回していたそうだ。
 興奮しきっていた男は様子を伺っていた巌勝が現れたのに気付かず気絶させられたらしい。

 そして意識を取り戻した男が見たのは巌勝ただ一人だった。男は巌勝がしくじったことを悟った。ずぶ濡れの巌勝は、恐らく沈められた姉を助けるべく池に飛び込んだのだろうし、同じくずぶ濡れになった死体の首を切ったのは巌勝だ。
 巌勝はふらふらと心ここにあらずといった様子で、鐘を撞けと言ったそうだ。
 村人が娘のことを忘れぬように、鐘を撞け。一日三度、欠かさずに。村人はその鐘の音を聞いて娘を思い出すだろう。

 それを聞いた男はその日から毎日欠かさずに鐘を撞いた。その鐘の音を聞いて村人が気まずそうに男を見るから堪らない。嵐の日にだって鐘を撞いてやった。
 しかしそれだけじゃ足りなかった。男は毎晩、森を彷徨って鬼を探した。執念深く鬼を探すと、村に招き入れて満月の夜に若い男を差し出すと約束した。

 満月の晩は姉が沈められた晩だ。
 それが続けば村人たちは姉の呪いだと恐れおののいた。愉快だった。満月の晩は村人が息を潜めとても静かな夜になる。鐘の音がよく響く夜だ。

 しかし、村人は次第に余所から身代わりを調達するようになった。
 慌てたのは男だ。余所者が鬼に食われるたび、男は罪悪感に苛まれる。鐘を撞くのも苦しくなっていった。
 せっかく村を訪れた鬼狩りも死んでしまった。姉が自分を責め立て巌勝が男を見て刀を抜く。そんな悪夢を毎晩見た。

 そこに現れたのが若い剣士と縁壱だったというわけだ。

 縁壱は満月の晩に鬼に差し出されたが、そこから先はもう報告を読まずとも煉獄には分かる。縁壱は一刀のもとに鬼を斬り伏せたのだろう。
 満月を背に剣をふるう縁壱は天からの御使いのようで、その剣技は悪鬼を地獄に連れゆく舞のように美しかったと若い剣士は語っている。

 煉獄は熱のこもったそれに苦笑しつつ文を置いた。若い剣士は自分だけなら村人に殺されていただろう、と語っている。
 縁壱に応援を頼んだのは自分だがほんの少し暗鬱たる心地となった。
 彼がいないようになった時、鬼狩りの威力は弱まるのではないだろうか。

 煉獄はその考えを振り落とすように首を振った。
 外からは雷鳴の轟が聞こえる。
 春の嵐がやってきたのだ。

 その村が山火事により燃え上がり、大水により沈んだのは、縁壱が鬼を退治してから丁度百年が経った後の事だった。