(二)双り
その少年には弟がいた。いつもにこにこと笑っているような子どもだった。
弟は体が弱かったため、大人は長くは生きられまいと口を揃えて言っている。少年はそんな弟が可哀想でならず、沢山愛情を注いでいた。
少年の父はとある武家に仕えており、少年もまた下働きをしていた。その家は継国といった。
継国の屋敷には子どもが二人いる。双子の男の子だ。
本当は殺されるはずだった双子の弟は彼らの母親が嘆願して生きながらえたそうだ。
ある下女たちは言った。
「なんて素晴らしい母親だろう」
「あの乱暴者のお殿様から息子を助け出した」
「あれこそ母の姿」
確かにそうだ、と少年は大いに頷く。
しかし別の下女たちは言った。
「あの母親は息子を取り返しても自分で育てるわけじゃあない。だって所詮は一人じゃ何にも出来ない偉い身分の女なんだもの」
「いつも辛気臭い顔をして、神仏に祈って、きっと不具の子でがっかりしてるに違いない」
「息子の耳に大きな飾りなどつけて、あの女は狂っている」
「ほら、見てご覧。あの不気味な痣。きっと前世の地獄に落とされた証拠」
ひそひそ、くすくすと放たれる大人たちの言葉。なんだかお腹のあたりがもぞもぞするような、悪いものを拾い食いしてしまったときのような、そんな気分にさせる言葉だった。
でも少年は知っている。
かわいそうな双子の弟を、この家の世継ぎである兄が深く愛していたことを。
兄の方は大人たちの目を盗んで文字を教え、一緒に遊び、食べ物を分けていた。きっと兄は弟の“兄”であると同時に“父”であり“母”だった。
少年は知っている。同情だけで幼い子どもが父親に殴られると知っていてなお兄弟として振る舞うことなどしない。愛していなければそんなことは出来っこないのだ。
少年はその双子と、自分と体の弱い弟とを重ねあせて見るようになっていた。
そして同時に自分が双子の兄のように、弟に分けてやれるものがあまりに少ない事実に鉛を飲まされているような心地になる。孔雀のような若君と地面を這うねずみのような自分。
独楽で遊んでみたい、凧で遊びたい、双六をしてみたい。そう弟が甘えるたびに叫びだしたかった。
そんなある日の事だ。
双子の兄が弟と独楽で遊んでいた。無表情な弟と対称的に快活に笑う兄は、日が西に傾き始めた空を見て独楽を弟の手に押し付けた。そしていたずらっぽく笑って人差し指を口元に当ててから去っていく。
弟は手の中の独楽をじっと見つめていた。
その時に少年は思った。
この双子の弟の方は口がきけない。ならば、ちょっと拝借してもばれないのではないだろうか。
そうだとも。一日――いや、半日だけ借りて、おれの弟が楽しんだら返せば良い。
どっくん、どっくんと、心臓が嫌な音を立てた。
背中の冷や汗が止まらない。これはきっと悪いことだ。バレたら痛い目にあうぞ。
それでも少年は、愛すべき弟のために口のきけぬ子どもに近寄りその手から独楽を奪い取る。双子の弟の、若君そっくりの赤みがかった瞳がぐるんと動いて少年を捉えた。
少年は悲鳴を上げながらしゃにむに走り去った。そして、汗みずくになって、弟に独楽を渡した。嬉しそうな自分の弟の様子が嬉しいのに、やっぱり冷や汗が止まらなかった。
少年の盗みが明るみになったのは三日後だった。
弟が独楽で遊んでいるところを見た誰かが、その独楽が若君のものであると気がついたのだ。咎められたのは父だった。お前の息子は盗っ人であると言われ棒で打たれた。少年は恐ろしくなって震えていた。父親が鬼のような形相で震える少年を見ているのだから。父の次に棒で打たれるのは自分の番だと思うと上手く息が出来なくなって目の前が白んだ。
その時、若君が棒で打つ男に向かって「止めよ」と言った。幼い子どもらしい甲高い声だった。
「独楽は私がその者の息子に与えたのだ。それ故に棒打ちの責めに当たる罪はない」
大人たちは皆顔を見合わせた。
「そうだろう。私はお前に独楽を渡した。間違いないな」
若君は少年を見てニコリと笑った。今度こそ目の前が真っ白になった。
年端も行かぬ子どもから施しを受けた。
しかし、この子どもはその施しゆえに己のが父から折檻をくらうだろう。それが分からぬほど子どもではないが、折檻の痛みを恐れるほど大人でもない無垢な子ども。
嗚呼、まさしく、この子どもは孔雀。そして自分は地を這うねずみ。
少年はへたへたと座り込んだ。