先生のお兄さん
継国縁壱という男は一言で言うならば変人だった。
炭吉は彼の原稿をチェックしながら「やっぱり先生は色々と始まってるなあ〜」と呑気に珈琲を飲む。
縁壱は金魚のことばかりを書く。ひたすらに、一途に、変態的に金魚ばかりを書く。金魚作家などと言われ、ファンレターも金魚、プレゼントも金魚、仕事も金魚、金魚、金魚。とにもかくにも金魚づくしだった。
金魚がお好きなんですね、と訊けば、金魚が好きなわけではないと言う。
「俺はただ……ただ一人の………ひと、を、愛しているだけで………」
スポーツをしているわけでもないのにやたらと体格の良い大きな体を縮こませた縁壱は頬を赤らめている。
ははあ成程、恋人を金魚に例えている訳か。炭吉はそう気付き、なんとも言えない気分になった。その日の原稿は金魚の尾びれのぬめりを啜る男の話だったからだ。
ちなみにその前は家ほどの大きさの水槽に住む金魚に焦がれた男が溺死する話だった。
その前は家に帰ると金魚が水槽からとびだしていて肝を冷やしたというエッセイだった。
いつだったかは失念してしまったが、金魚の交尾について長々と語っていた事もあった。
炭吉はあいも変わらず頬を赤らめ照れているらしい縁壱に生ぬるい視線を送った。
そんなある日、炭吉は街中で縁壱を見た。
問屋街の一角、観賞魚店の店先で熱心に真っ赤な金魚たちを見ている後ろ姿は縁壱に違いない。
「縁壱さん、偶然です……ね……?」
しかし、炭吉の声に振り返った男は縁壱ではなかった。
「……縁壱の……兄、の、巌勝といいます」
混乱して固まってしまった炭吉にくすくすと笑いながら、男はそう言った。
縁壱の兄だと名乗るその男は月のように美しい男だった。
巌勝は随分と社交的で、まるで旧友のように炭吉とすぐに打ち解けた。
洗練されており隙が無いその姿は言葉少なで飾り気のない素朴な縁壱とはあまり似ていない。
「金魚がお好きなんですか」
そう訊くと、うーん、と首を傾げて巌勝は金魚たちを見やる。
「私はそこまででは……。
今日は縁壱の好む金魚を見繕っていたのです。しかし……」
憂い顔でため息をつく姿が様になっている。古くは中国で絶世の美女が眉を顰める姿が美しく皆見惚れたというが、要するに美しい人は何をしても美しいものだな、と炭吉は思った。顔がいいというのはある種の才能である。
そう一人頷いていると、巌勝は心底困ったという声で「縁壱に見合う美女はなかなか見つからないのです」と言った。
「金魚の見分けがつかないのですけど、この子なんかは色が綺麗なんじゃないですか?」
「ああ……色は美しいが、顔立ちが良くない」
「…………かおだち?」
「縁壱もたまには美しい雌というのを見たほうが宜しいと思いまして……。家ではいつも、真っ黒な……雄ばかり見ているのですよ。弟のような男にはもっと相応しい雌が居るはずですから」
綺麗な人から放たれた言葉を炭吉は一瞬理解できなかった。
そして、縁壱のお兄さんも色々と始まってるなあ〜流石兄弟だなあ〜と思った。