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つばめの鳥かご


 つばめが巣を作った。  
 縁壱がそう言っていた。産屋敷が「縁起がいいね」と言うと、どこか嬉しそうに卵が孵るのが待ち遠しいと口にしていたのが目に焼き付いていた。

 動物に好かれやすい縁壱は、その大きな手のひらの上に小さな動物をよくのせる。そんな彼のどこか浮世離れした姿は産屋敷にとって微笑ましくもあった。そして同時に言いようのない焦燥感に苛まれるものでもある。  
 この不安は縁壱が鬼狩りに加わったころから腹の奥に燻る不安だった。その不安を「まるで子が己の手から離れてしまうことを恐れる親のようだ」と先代の炎柱――片腕を失い戦場からは退いた壮年の男は言った。確かにそうかもしれない、と彼自身思っていた。


 鬼狩りたちと産屋敷家当主は擬似的な“家族の絆”によって結ばれている。  
 鬼狩りに加わる者には家族を失った者が多くいる。そのため家族を求める者が多い。それ故に産屋敷家当主は“父”となり剣士らを“子”としたらしい。少なくとも産屋敷はそう先代から伝えられていた。


 縁壱もまた、多くの剣士達と同様に家族を失い鬼狩りに加わった男であった。  
「私たちが君の新しい家族になろう」  
 それは縁壱と初めて会ったときに思わず口から出た言葉だった。なぜならば彼はとても寂しそうだったからだ。理不尽に簒奪された者にしか分らぬ苦しみをたたえた瞳をしていた。  
 産屋敷には鬼によって大切なものを奪われた者に対する仲間意識があった。簒奪された者らは悲しみにくれたり、憎しみを燃やしたり、あるいは己を守るために現実の世界から逃げてしまった者も見た。しかし彼らは一様に同じような瞳をしていた。産屋敷はそんな瞳を持つ者を見た時、彼らの傷を少しでも癒してやりたいと思わずにはいられない。  
 もしかすると鬼の始祖が一族から出てしまったこと、そしてその事実をひた隠しにしていることへの引け目ゆえかもしれなかった。

 縁壱は家族になるという産屋敷の言葉にパチクリと瞬きをする。そしてゆっくりと俯き小さな声で「かぞく」と繰り返す。  
「一緒に住むことはできないけれど、私は心はいつだって“子どもたち”のそばにある。みんなの父親になりたいんだ」  
縁壱はやっぱり俯いたままだった。  
 彼が鬼狩りを一つの家族と思ってくれたらいいと、その時は心から思った。



 実のところ産屋敷は、縁壱は剣士には向いていないのではないか、と思っていた。体躯こそ恵まれているものの彼は虫も殺せないような気弱な子どものように見えたからだ。彼を拾った煉獄から剣を学んでいるのを見るといつだって悲壮感のある瞳をしていたように産屋敷には見える。剣よりも、一年中咲き乱れる藤の下で小鳥やどこからともなく現れた動物たちと空を眺めているほうがよほど息をしやすそうに見えたのだ。  
 しかし、皮肉なことに縁壱は鬼狩り最強の剣士であった。縁壱は誰よりも早く、多く、確実に鬼を倒すのだ。  
 誰よりも強い剣士。戦いを好まぬのに誰よりも戦いに秀でた男。それが縁壱だ。

 産屋敷は望まぬ戦いに身を捧げる健気な“子ども”に「君は私の誇りだよ」と言った。その言葉に縁壱は照れたように顔を赤くさせて俯き「もっともっと、精進します」と言って、胸もとに手を当て、ぎゅうと何かを握っていた。煉獄によると彼は死んだ妻の形見を肌身はなさず持っているらしい。  
「…………私たちは、君の家族になれているかな」  
産屋敷は縁壱に訊く。  
「……。ありがたいことだと、感謝しています」  
縁壱はそうはにかむ。

 産屋敷ははにかむ縁壱を見て安心する。時間はかかるかもしれないが、きっと縁壱は産屋敷の“子”となり我ら鬼狩りの“家族”となるだろう。そう信じていた。  
 だからこそ産屋敷は縁壱が「親離れ」してしまうのを恐れていた。


 それが思い違いであると気づいたのはそのわずか数年後のことだった。縁壱の双子の兄・巌勝が鬼狩りに加わったのだ。

 巌勝が鬼狩りに加わると、それまでわがまま一つ言わない聞き分けの良い子どものようだった縁壱は己の望みを積極的に口にするようになった。

「兄の修行に立ち会いたい」  
「しばらくは兄と寝食を共にしたい」  
「任務の間、兄はどのように過ごしていたか教えてほしい」  
「兄に日輪刀を授ける時は立ち合いたい」  
「初任務に同行したい」

 その一つ一つを聞き、そして彼ら双子の様子を見ているうちに産屋敷は知ることとなる。  
 もとより縁壱にとって家族とは彼の妻と兄のみであったのだ。そして妻を失った今は彼の家族はこの世で兄・巌勝その人だけなのである。  
 産屋敷――そして他の誰であろうとも彼の家族になりようもなかった。誰に対しても悪意を向けることなく無邪気な善意を向ける縁壱が、生きた一人の人間――身勝手さや欲深くもある人間らしい心を持つ人間である姿を見せるのは、巌勝に対してだけなのだ。

 つまり、縁壱は巣立ちを控えた雛ではなかったのだ。どこへでも飛んでいける鳥が鬼狩りという木を一時的なとまり木としていただけだった。彼が本当の止まり木とする人――愛する兄を見つけた以上、産屋敷を親とする鬼狩りという組織に未練はあるまい。  
 産屋敷は縁壱が巌勝を目で追う姿を見るたび、とてとてと巌勝の後を追う姿を見るたび、彼ら二人が鬼狩りを去る姿を見てしまう。  
 それは恐怖だった。縁壱の鬼狩りとしての才能を知れば知るほどその恐怖は膨らむ。  
 産屋敷は縁壱を失うわけにはいかなかった。

 春にやってくるつばめは季節が廻ればいなくなってしまう。  
 その前に、鳥かごの中に入れてしまわなくては。

 産屋敷は両目を瞑り天を仰いで思案する。病におかされ年々体の自由はきかなくなるが、幸い考える時間と頭はまだ残されている。


 鎹鴉が報告をしに産屋敷のもとに飛んできた。  
 産屋敷は片目を開けて報告を聞く。  
「…………十全だ」  
 報告は、剣士たちを手こずらせていた二体の鬼――女の鬼と牛の鬼それぞれを縁壱と巌勝が倒したというものだった。