実に十全である。
産屋敷は満足げに微笑む。
この数年で鬼狩りは飛躍的に力を付けた。鬼狩りを見るなり逃げ出す鬼すらいるらしい。それも全て縁壱による“呼吸”がもたらした勝利である。
縁壱がいれば鬼の始祖すら倒せる。彼の戦いを見たものはそう意気込み鍛錬に励むという。
縁壱の存在が士気を高めるのだ。
そして彼の双子の兄もまた実力者であった。鬼狩りに加わってから二年ほど経つが彼に匹敵する実力者は縁壱を除いて他にいないようにすら思われる。
産屋敷はいつになく高揚していた。
あの双子がいれば、十全なのだ。太陽も月もこの手の中にある。恐れるものは何もないのだとすら思える。
鬼の始祖・鬼舞辻無惨を倒す。倒せる。死に様を見ることは叶わないが、己の代で決着をつけるのだ。
そう思うと平生は隠している憎しみと殺意が膨れ上がり酩酊するような心地になった。
いつだって産屋敷の心には憎しみと殺意が巣食っていた。
なぜならば産屋敷家は呪われていたからだ。
それを父から聞かされたとき、幼心にこの世の理不尽を知った。祖先が鬼になったから何だというのだろう。その罪を何故、我々が背負わなくてはならないのだろう。
怒りと憎しみが身を焦がすのを知った。そしてその炎は命果てるまで燃え続けるのだろうことも悟った。
故に父が死に幼い身で当主となった時に誓ったのだ。全ての元凶である憎き鬼を討つ。この身朽ち果てようとも、この燃えたぎる怒りを鬼舞辻無惨に知らしめてやらなければならぬ。
血の色をした命を燃やせ。
産屋敷家当主はそんな激情をひた隠しにして十全だ、と微笑んだ。
「つばめが巣を作ったそうだよ。もう毎年のことだ……。最初は縁壱が教えてくれたんだ」
「ほう。それは縁起が良いですなぁ」
産屋敷の言葉に炎柱――煉獄は呵呵と笑う。
「これはもしや我らが悲願の達成のしるしやもしれませんな!」
「そうだね。それも君のおかげだね」
産屋敷は、ありがとう、と微笑んだ。
「煉獄家は代々我らを支えてくれた。そして君は縁壱を我々の仲間としてくれた」
「……天が、お館様と彼を引き合わせたのでしょう」
「もしもそうならば――天は我ら鬼狩りに味方しているね」
十全、十全。まことに十全である。
あと少しだ。
あと少しで憎き敵を倒すことができる。天から与えられた“縁壱”を決して手放さずに、この戦いをおさめるのだ。
縁壱が彼のもとにあり続けるための楔はもう知っている。
―――巌勝。
―――巌勝がいれば縁壱はここにいる。
―――そして縁壱がいる限り巌勝はここにいる。
―――ああ、十全だ。天は太陽と月を私にくだすったのだ!
産屋敷は「縁壱と巌勝を呼んでくれるかい?」と炎柱に言う。
「いい子の縁壱には、ご褒美をあげなくては」
「ご褒美……とは?」
「縁壱は兄弟二人で、ゆっくりと過ごしたいだろうから、そのようにさせてあげようと思うんだ」
産屋敷は彼ら双子がただならぬ関係であると知っている。
ならば、二人がもう離れられぬようにお膳立てしてやれば良い。二人がもつれあって身動きが出来ないほどになってしまえば良い。縁壱もそれを望んでいるに違いない――いや、それが幸せなのだと思えるようにしてやるのが“親”のつとめではないだろうか。
「我が子の恋路を応援しない父親はいないだろう?」
産屋敷はうっそりと微笑んだ。
***
少年は産屋敷家の長男だった。
父親は日に日に病におかされている。いつか自分もこうなるのだと知りながら、それを知らんぷりしている。
だってあまりにも死が身近すぎる。
そんな少年を剣士たちは気にかけてくれていた。少年を気にかける者の多くは子のいる父親か、父親だった男たちだ。
若君、若君、と皆が少年を慈しんでいた。少年は剣士たち全員の息子だった。
しかし少年はいつか遠くない将来に彼らの父親となる。少年には想像もつかない未来だ。
「我々産屋敷家の男は産まれた時から鬼狩りたちの父親なんだよ」
いつかの日に少年の父はそう言った。
「何故ですか?」
「それが一族の義務だからだ」
少年には分からなかった。
「義務だから、戦うの?」
「……お前には悪いと思っているよ。まだ小さいお前にすべてを託すこの父を許しておくれ」
少年は父親の狡さをほんのちょっぴり憎んだ。
それからというもの、父親は少年に様々なことを教えた。鬼狩りたちの“父親”として為すべきことは余りにも多かった。
学びの日々のある日、少年は縁壱と藤棚の側で遊んだ。父親から「縁壱に遊んでもらいなさい」と言われたのだ。
縁壱は感情の見えない男だった。しかし素朴な男だった。少年はそんな縁壱が嫌いではなかった。
少年が恵まれた体躯の縁壱を見上げていると、縁壱は「肩車をしましょう」と言ってヒョイと持ち上げてしまう。
きゃあ、と小さく悲鳴を上げると「肩車をしてほしいのだと思ったのですが……違っていただろうか」と戸惑ったような声を出した。それがなんだか面白くて、少年はきゃらきゃらと笑った。
普段よりずっと高い視線から見る藤は陽の光を浴びて美しかった。
「……縁壱は、どうして鬼を斬るの?」
少年はふと思った。
「……美しい世界を………美しいままにしていたい」
縁壱は言った。
「鬼が憎いからではないの」
「おれには“憎しみ”が分からないのです」
「憎くないのに斬ってしまうの?」
「鬼は美しい世界を破壊する敵だ。戦場では……敵はただ敵であるからして斬るのみ。兄上がそう言っていた」
「ふぅん……」
少年には分からなかった。
もやもやとした少年が眉間に皺を寄せていると、突然に視界が周る。縁壱が後ろを振り返ったのだ。
「兄上、いらしていたのですね」
そこにいたのは縁壱の兄・巌勝だった。
巌勝は肩車を見てひくりと口の端を強張らせる。彼は厳しい人だから、怒られてしまうかも。少年はそう思った。
「おろして」
少年が縁壱に言うと、巌勝は弟の非礼を詫びる。その言葉は縁壱が勝手にしたことだと決めつけるような言葉であった。ちょっとだけもやもやとしたが、間違ってはいない。
少年は遊びたかった。楽しいことがしたかった。
「縁壱は楽しませようとしてくれたんだ。そんなに怒らないで」
「……出過ぎた真似をいたしました」
巌勝は、今度は酷く辛そうな顔をした。ずるいと思った。
彼は少年を気にかけてくれている剣士の一人だ。他の剣士が言うには「大義のために家族をも捨てた立派な侍」だそうで、そんな立派な彼でも「親の心があるためにお館様のご子息を気にかけている」という事らしい。
少年にはよく分からなかった。でもきっと、やっぱりずるい人だと思った。
「巌勝は、敵だから鬼を斬るの?」
「は?」
「縁壱にそう言ったのでしょう?」
「……ええ。ええ。そうですね。鬼は我らの敵――あなた方の敵であるからして、斬ります」
「ふうん」
不意に巌勝の裾を縁壱がちょんと引っ張る。随分子どもっぽい仕草だ。
「せっかくいらっしゃったのです。藤でも見ましょう」
「だが……」
二人は見つめ合ったまま沈黙する。まるで鏡合わせのようだった。
「もう戻るから、二人で藤でも眺めていて」
少年はそう言って踵を返す。二人の邪魔をしているような心地になってしまったのだ。
少年が少し離れた場所から振り返ると、一年中咲き乱れる藤の下で二人の影が重なった。
少年は息を飲んでそれを凝視した。
縁壱に隠れて巌勝の姿は見えない。しかし縁壱のわきの下から巌勝の腕が背にまわる。二本の腕は縁壱の背に縋るように戦慄き、時折びくりと跳ねる。
やがて縁壱は巌勝に覆いかぶさるように座り込み背中にまわっていた腕は頭を掻き抱くような動きをした。
少年は慌てて目をそらして立ち去った。
父親にそのことを話すと、二人は愛し合っているんだよ、と微笑んでいた。
「愛し合っている者を引き離してはいけない。覚えておきなさい」
「はい。父上」
少年はまだどきどきとうるさい心臓を落ち着けようと深く息を吸った。
少年には分からないことだらけだった。
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