蜜狂い
美しい背を見るのが己の特権であると思えば満たされる気持ちになるが、同時に横顔しか見ることができないのが口惜しくもある。
縁壱は四つん這いになった巌勝の背を見ながらそう思った。
巌勝は理性を失うことと、その姿を縁壱に見られることを嫌う。
その一方で彼は悦楽に弱かった。どこもかしこも縁壱のために誂えられたような――或いは縁壱が巌勝のために誂えられたように具合が良かったのだ。
それ故にか、巌勝は後ろからしか体を許そうとしない。悦楽に蕩けた情けない顔を縁壱に見られたくないのだと言っていた。獣のような姿勢での目合いは確かに横顔しか見ることがかなわない。
それが不満でないと言えば嘘になる。
縁壱は後ろから突上げるように腰を打ち付ける。するとその律動に合わせ滑らかな黒髪が背に広がり波打った。
己と同じ、毛先の紅い髪。
己とは違う、手入れの行き届いた髪。
それを肩にはらってやると筋肉のついた白い背が現れる。
縁壱は腰を掴んでいた手を背に這わせ、筋肉の形を確かめるように上へと滑らせた。その感触がくすぐったいのか巌勝は堪えるようなくぐもった声を上げる。それと共に腰をくねらせ逃げる様な動きを見せた。手に血管が浮かびあがるほど強く敷布を握り堪えている。
匂い立つような色香に縁壱はほう、と息をつく。
鍛え上げられた巌勝の美しい体。そして傷だらけの体。戦うための体だ。
鍛錬に励む姿は謹厳実直そのもので、ひたすらに剣の道を極めようとする姿はいっそ清らかだった。
その体がこんなに淫靡に色を変えるなど誰が思うだろうか。
俺しか知らない。いや、俺しか知らなくていい。
これを見ることができるのが彼からの特別であることの証と思えば満たされた。
縁壱は
「逃げないで」
と囁き腰を引き寄せ、ゆっくりと陽根の全てを埋めた。ぐるりと腰を回すと「ひッ、ぃ、ぁああ!」と悲鳴が上がる。
感じいった声を聞かせることを嫌う彼の、甘さを含んだその声に興奮して縁壱は息を詰めた。そして埋め込んだ陽根を抜くことなく腰を突上げ最奥を何度も捏ねる。巌勝の体がその刺激に喜ぶことを知っていた。
「や、ぁあッ! あ、あ゛、ッ!」
一度声が漏れてしまえば抑えることが出来なくなってしまっているのだろう。
「よりッ、いち……!」
巌勝の片腕が後ろに回り、腰を掴む縁壱の手に爪を立てた。
「とま、れ…ッん! ぁう゛…ひ、ああ、や゛ッ! くるし…からッ!」
苦しいと言う巌勝の言葉とは裏腹に、さらなる悦楽を求めて内壁はぐねぐねとうねり縁壱の陽根を食い締めている。
「止まったら、顔を、見せてくれますか?」
「ッ……!」
縁壱はぴったりと体を背に密着させ強請った。少しだけ意地悪な気分になったのだ。いつも顔を見せてくれないことへの意趣返し。その“意地悪”を咎めるように巌勝の爪が食い込みじんじんとした痛みとなる。そんなささやかな抵抗がいじらしい。
ここで本当に止めてしまえば、巌勝は体の奥の疼きを持て余してしまうだろう。そうなってしまえば泣いて続きをせがむことになるというのに、それでも悦楽に素直になれない巌勝が愛おしかった。
やがて巌勝の腕がガクガクと震え上半身を投げ出し腰だけを上げる姿勢になってしまう。
縁壱は乾いた己の唇を舌で舐め、目の前にある真っ赤な巌勝の耳の縁を唇で辿る。そして薄い皮膚に歯を立てては尖らせた舌先で耳の裏をくすぐった。
「顔、見せて。兄上の。見たい。顔、見ながら……兄上と…」
ふうふうと荒い息を漏らしながら縁壱は脳に霧がかかったようになるのを感じた。
――気持ちいい。気持ちいい。兄上の中、好き。気持ちいい。兄上、俺で、気持ちよくなってる。好き。俺の…。俺だけの兄上。
――顔、見たい。抱きしめて。兄上の腕の中、兄上の気持ちいいところで、果てたい。
縁壱の下で巌勝の体がビクビクと跳ねるのを己の体全体で押さえつけながら
「あにうえ。よりいちは、あにうえのことがすきです」
と訴えた。
すると、その言葉を聞いた巌勝は背を反らせるように体中を痙攣させ
「……ッ!! ぃ、いやだ、いやだぁ!」
と涙声で抵抗した。
縁壱は顎を掴み無理に顔を横にさせる。
真っ赤に染まった顔。八の字垂れた眉。泣きじゃくり蕩けたようになっている瞳は縁壱をとらえぼろぼろと涙をあふれさせる。口のまわりは唾液でべとべとになっていて、薄く開いた唇の隙間からは赤い舌が覗いていた。
その横顔に無理やり唇を合わせる。
じゅるじゅると唾液を交換する音が脳に響く。無理な姿勢のせいで上手く飲み込めずに敷布に染み込むのが惜しい。
――すき。兄上。好きです。好きなんです。
巌勝の舌が縁壱の舌に絡みつき、鼻にかかったような、子犬の鳴き声のような、くんくんという喘ぎ声が混ざる。そして縁壱に押さえられていた腰が悦楽を追うように淫らに揺らめいた。
縁壱の、霧がかかったように不明瞭になった頭の中がさらにぐちゃぐちゃにかきまわされ、やがて脳天に電撃が走ったような快感に身を震わせながら巌勝の奥に精を注いだ。
それと同時に巌勝もびくんびくんと体を痙攣させながら叩きつけられた熱がもたらす大きな快感の波に溺れていた。
後処理を終え、縁壱は
「兄上は、どうしてお顔を見せてくださらないのです」
と訊いた。
「兄上と目を合わせて、手を握って……口を吸いながら……果てたい」
「……顔を見られるのが嫌だと、前にも言った」
「でも……目を合わせた方が、しあわせです。きっと気持ちがいいです」
巌勝はぴんと片眉を上げて
「お前は私を殺す気か?」
と言った。
「これ以上の快楽は毒だ。それに、ただでさえ醜態を晒しているというのに……これ以上の……いや、なんでもない」
ふう、と巌勝はため息をついて窓から見える空を見上げた。
「行き過ぎた快楽は恐ろしい。気が狂いそうだ」
「狂ってしまえば良いでしょう。それは所詮ひとときの事なのだから」
「……私は、狂ってしまえば、戻れなくなってしまうよ」
ふ、と嗤った横顔からは、先程までの淫らな色など全く見つけられなかった。
毎夜その姿を変える月のような人だと、人を狂わせる月のような人だと、そう縁壱は思った。