NOVEL 小ネタ(〜1000)

夢に沈む


 昔から巌勝は月に行きたかった。太陽に近づきたかった。  
 宇宙に行きたかった。

「宇宙飛行士になりたいの」  
と縁壱が聞くと  
「違うよ」  
と頬を赤らめて言う。  
「俺は宇宙に行きたい。重力のないところ。何処にでも行ける」  
巌勝はいつもそう言って空を眺めていた。  
 縁壱は巌勝の事が好きだったので、何処にも行ってほしくはなかった。自分の隣で笑ってほしかった。小さな幸せを大切にして、おじいちゃんになってお墓に入るまで一緒にいてほしかった。

「何処にもいっちゃ嫌だよ」  
「なんで?」  
「………好きだから」  
「……………ばかな縁壱」

 巌勝は「俺も縁壱が好きだよ」と言って、頬にキスをくれる。縁壱はその場所を手でおさえて、ドキドキとうるさい心臓の音を聞くのだ。


 しかし、ある日のことだった。  
 巌勝が大きな荷物を持って夜中にそっと家を出て行くのを見た縁壱はどうしたの、と彼についていった。巌勝は「ばれちゃったなあ」と笑っていた。  
 二人で月夜をてくてくと歩き、着いたのは海だった。

「縁壱には秘密を教えてあげる」  
巌勝は言った。  
「海の底には宇宙があるんだぜ」  
「宇宙?」  
「そう。だから、俺は宇宙に行こうと思う」  
そう言って巌勝は大きな荷物の中から宇宙服を取り出して、いそいそと着始める。  
 縁壱はぽかんとしてそれを眺めた。

「ばかじゃない?」  
ようやく縁壱がそう言ったとき、巌勝はすっかり宇宙飛行士のような格好で微笑んでいる。  
「縁壱」  
巌勝が手招きをした。縁壱が近づくと、ちゅ、と唇にキスをされた。

「なあ、俺、昔から宇宙に行きたかった。夢だったんだよ。だから、俺は行くよ」  
そして、ちょっと俯いて照れたように「縁壱、好きだよ。ずっと好きだった。多分、これからも、ずっと好き」と言った。

 そうして巌勝は海の底の宇宙へと向かった。  
 それ以来、縁壱は巌勝に会っていない。