NOVEL short(1000〜5000)

マイ・ベイビー・ロリポップ


 最初に目に入ったのはハーフパンツからスラリとのびた脚だった。  
 尻餅をついていて下から見上げる姿勢のせいか、裾に隠れる位置に貼られた絆創膏がチラリと見える。太腿からふくらはぎまでの見事なシルエットを作り上げる筋肉と白さが眩しく、縁壱は思わず見惚れてしまった。  
 手に持った刀を鞘におさめた彼はくるりとこちらを向く。私立小学校の制服――黒い詰襟に金釦、同じく黒のハーフパンツ姿の少年。縁壱を見て驚いている。  
 そして少年はためらいがちに尻餅をついた縁壱に手を伸ばして「立てるか」と聞いた。その手をとってしっかり握るとお腹のあたりがザワザワとした。

 ぶわりと突風が吹く。  
 少年の学帽が縁壱の胸に落ちた。それを差し出すと「ありがとう」と彼は柔らかく微笑む。

「君、“見える”んだろう」  
「うん」  
「なら本当に困ったときには、この笛を吹きなさい」  
縁壱の手に握られたのは子供用の警笛だ。  
「これを吹いたら、俺が助けに来るから」


 格好良かった。こんなふうになりたいと、縁壱は思った。

 その日以来、彼のことが頭から離れない。助けてくれた日の、ハーフパンツからのびるスラリとした脚が目に焼き付いているのだ。



 その話を黙って聞いていた童磨は  
「黒死牟殿の性の目覚めだね」  
と笑う。  
 縁壱は馬鹿にされていることは分かった。

「ハーフパンツから見える脚が忘れられないって、それはもう立派なフェチズムと言えるんじゃないかなあ」  
俺は引かないから安心して、とにこやかに童磨は言った。

 童磨は縁壱の友人だった。  
 彼は十五歳も年下の縁壱に、まるで旧友のように親しげだ。縁壱は童磨のことを不審者の変態(小学生に絡みたがる自称『教祖』は紛うことなく変態だ、と縁壱は考えている)だと思っていたが害意はないようなので同級生には話せない、主に『化け物』のことを話している。


 縁壱は幼い頃からこの世ならざるモノに魅入られやすく襲われやすい。十になる頃には巻き方を覚えたものの、時に危機的状況に陥ることもある。

 そんな時に出会ったのが童磨だった。  
 大きな牛の化け物に襲われ「死ぬかもしれない」と背中につうと冷や汗が垂れた時に彼は現れたのだ。  
「やあやあ! その声は、我が友、黒死牟殿ではないか」  
と非常に軽薄な声が聞こえ、見れば男がへらへらと笑っていた。声に違わず軽薄そうな男だ。  
「黒死牟殿ともあろうものが、こんな雑魚相手に何をしているんだい?」  
「……こく…………?」  
「ああ、記憶がないのか! しかし俺は義理堅いからな。昔のよしみで助けてやるぜ」  
そう言った童磨はあっという間に牛の化け物を退治してしまった。


 それ以来、縁壱と童磨は奇妙な友情を築いている。ちなみに童磨は頑なに縁壱のことを『黒死牟殿』と呼ぶ。きっと中二病が大人になっても治っていないのだろう。


閑話休題。


「童磨、俺はどうしたらいい?  
 その子を思い出すとムズムズして、まるでお腹の中で蝶々が羽ばたいてるみたいなんだ。叫んだり走り出したりしたくなる……」  
「ひゅう! 熱烈だねえ」  
縁壱がほう、と悩ましげに吐息を漏らすのを童磨が囃し立てる。

「しかし、その子は化け物に襲われていた黒死牟殿を助けてくれたんだろう。普通の子どもじゃあないね」  
「うん。………刀で助けてくれた。あの小さい体からもの凄いパワーが出ていて……俺のことを守ってくれた……それに手を差し出してくれて…。何かあったらコレで呼べと…笛までくれた」
 そう胸の前で子ども用の警笛をぎゅっと握る縁壱に、こりゃ重症だ、と童磨はニヤニヤと笑った。  
「黒死牟殿は昔から強い男が好きだったからな」  
そして高らかに宣言する。  
「よし。決めた。俺は友人思いの男だからな。黒死牟殿のためにひと肌脱ぐぜ」  
「……?」  
「思春期の黒死牟殿の初恋の為に、俺がラッキースケベを用意してやろうじゃないか!」  
「ラッキー……スケベ……」  
 縁壱は警笛を鳴らすべきか否か迷った末に「よろしく頼む」と言った。



@@@



 頸を撥ねる。  
 胴を真っ二つに斬る。  
 眼を潰す。  
 心臓を突き刺す。

 その日の獲物は落ち武者の亡霊が二体と腐乱した人型の亡霊が二体だった。  
 少年は藤紫色の刀で断末魔の叫びをあげさせる間も与えずに亡霊をいなす。十歳の少年の身体は思うようには力は出ないが小回りはきく。幸いにも長い闘いの記憶の中でそういった戦い方をする剣士を見たことがあった。それを応用すれば雑魚など相手にもならない。

 逆手に持ち替えた刀を振り血を落として少年――継国巌勝はふう、と息をついた。


 彼は諸事情あって街の怪異をばっさばっさと斬り倒す毎日を送っている。しかしながら、こうも張り合いのない相手ばかりだと退屈で死にそうだ、と不貞腐れていた。
 前世の記憶を持つ彼は、時に柱の剣士たちと戦った昔を振り返り懐かしむ。  
 かつての己は鬼となったものの本懐は遂げられなかった。その口惜しさは忘れられないが、同時に血湧き肉躍る闘いに身を置いていた日々が恋しくも思う。

 そんな巌勝少年であるが、最近の彼の頭を悩ませているのは、友人の鬼舞辻くんでも養父である産屋敷でも、張り合いのない獲物でもなかった。  
 つい先週助けた少年が頭から離れないのだ。

 なぜならばその少年は憎らしくも愛おしいあの弟に瓜二つであったから。


 刀を仕舞いベンチに置いておいたランドセルを背負って、てくてくと歩く。  
 はあ、とため息をつきながら、縁壱のことを思う。

 今生では双子として生を受けなかった。喪失感とも安心感とも呼べる感情に随分と頭を悩ませたが、縁壱にとって己のような兄などいない方が良かったのだと納得していたのに。

(お前はどこまでも私を惑わす。)

 巌勝少年は物憂げに天を仰いだ。


 さて、この直後に起こることについて言い訳をするならば、まずこの時の巌勝の頭の中は混乱状態にあった。正しく言うならば縁壱を助けた日からずっと気もそぞろだったのだ。集中力に欠けていた。
 だから、気づけなかった。
 気づくべき全てにおいて。

 最初に気づくべきは件の子供が近づいていたことだ。

「あのっ!」
という緊張した子供の声がして振り返ると縁壱がいた。
 昔のような無表情、しかしどことなく緊張したような面持ちでこちらを見ている。
 今の今まで気配を察知できなかったことへの恥ずかしさと言葉にできない恐ろしさで鳥肌が立つ。

「俺に、何か?」  
巌勝はしらを切ることにした。

「この前は……ありがとう……」  
「………この前って?」  
「だから……化け物から助けてくれて……」  
「化け物? 何の話だ?」  
「えっ」  
「人違いか、それとも……俺のことをからかってるのか?」  
「ち、違う!」  
少し強い口調で言うと縁壱は目を見開きふるふると震えだす。

 巌勝はきまり悪くなってしまい、目をそらし
「……じゃ、人違いだな。俺は君のことは知らない」
と早口で言った。  
「人違いなんかじゃない! おれ、ずっとあなたに会いたくて、童磨……友達にも協力してもらって、ようやく会えたのに……!」

 縁壱はいっそ哀れを誘うように必死に言葉を紡ぐ。
しかしそれ以上に巌勝はぎょっとして
「ちょっと待て、今、童磨って言ったか?」
と言わずにはいられなかった。
 聞き捨てならない名前が聞こえる、なぜその名がお前の口から。

 そして、更にここでもう一つ、巌勝が気づくべきことがあった。
「危ない!」  
と自転車に乗った男がバランスを崩し二人に向かってきたのだ。

 巌勝は咄嗟に縁壱を引き寄せ避けようとしたが、ここで誤算があった。  
 近くにいた女性が「きゃ!」と叫びどんと縁壱を押しのけた。縁壱は巌勝に抱きつくように倒れ込んでしまう。なんとか踏ん張った巌勝であったが更に別の男が「自転車が!」と叫び巌勝の襟を引いた。
 結果として、巌勝は為す術もなく縁壱ともつれ合うように倒れてしまった。

 どん、と背中に鈍い衝撃が走る。一瞬息ができなかった。
 すぐに巌勝は体勢を整えようとするが、それも出来なかった。  
 腹部に重しがあったからだ。

「………………………おい」  
「っっっ〜?!?!」  
縁壱が巌勝の足の間に挟まるような体勢、さらに言えば片足を肩にかけ、もう片方の脚をがっしりと手で掴むような姿勢で顔を巌勝の腹に埋めていたのだ。

 がばりと顔を上げた縁壱は顔を真っ赤にさせて「ゔっ」と呻く。しかし、どこうとしない。いや、どけよ、と巌勝はイラッとする。  
「お前…………わざとか………」  
「ちがうっ……いや……ちがわな…?  
…いや! ち、違う! 違くないんですけど、違うんです!!!!」  
「…………いいから早く……。……どけ…………」  
額にぴきぴきと青筋が立っているのが分かる。こんな情けない姿勢にさせられるなどとんだ屈辱であった。

 縁壱は巌勝の不機嫌そうな声に「きゃんっ!」と子犬のような悲鳴を上げて跳び退こうとした。
 膝立ちになって「すみません!」と叫ぶ。しかし巌勝にとっては肩にかけられた脚を腰ごと余計に持ち上げられ開脚させられただけだった。  
「…………やっぱりわざとだな?」  
「す、すみません〜〜」  
縁壱はべしょべしょと半泣きのまま巌勝の脚を肩から下ろす。

 パッと跳ね起きた巌勝は縁壱から距離をとって土を払う。  
「怪我は?」  
縁壱が半泣きで聞く。  
「…………ない。…………。君は?」  
一応聞くと、今度は顔を赤らめて胸で手を組み「ありません」と吐息混じりに言う。  
「やっぱり、あなたは優しい……」  
 夢見るような甘い声にぞぞぞと全身の毛が逆立つ。気味が悪かった。久々の感覚だ。  
 逃げよう。  
 そう思った。

 そしてここで、巌勝が気づくべき最後の一つがあった。  
「いやぁ〜二人とも怪我はないかい?」  
軽薄そうな、聞き覚えのある声。  
「それにしても黒死牟殿、見事なラッキースケベだったねえ! まるで少年漫画のようだったよ…………って、あれ?」  
「…童磨!」  
 演技がかった心配顔で二人の側に駆けつけた青年は、かつての上弦の弐、童磨であった。  
「んっん〜……黒死牟殿が二人……? というよりも、もしかして、俺はとんだ勘違いをしていたのかな?」

 童磨は縁壱と巌勝を見比べて首をかしげる。  
「そっかあ! 縁壱くんは黒死牟殿じゃなくって縁壱くんの麗しの君が黒死牟殿だったわけだね」
「は?」
巌勝はぎょっとして童磨を見る。いつも通りへらへらと笑っていて何を考えているか分からなかった。

「童磨、彼と知り合いだったのか」縁壱が言う。
「うん。良いやつだよ。壱だし」  
「……ずるい」  
「それよりも、黒死牟殿と縁壱くんは兄弟じゃあないのかい? よく似ているが……」  
「? 全然似ていないだろう。巌勝くんの方が綺麗だ」

(……何だこれ。)  
 巌勝は頭痛がしてきた。  
 目の前にはかつての上弦の弐である童磨がいて、かつての弟がいて、二人は知り合いで、童磨は弟を自分だと勘違いしていて………。


「…じゃ、これで!」  
 混乱した挙げ句、巌勝は踵を返し逃げた。後ろで「黒死牟殿ぉ〜待っておくれよぉ」という童磨の声が聞こえたが、知るかとばかりに無視を決めて逃げた。  
(もう二度とお前とは関わらぬ。許せ縁壱。そして童磨、お前はもう余計なことをしてくれるな…!!)

 しかし、この時の巌勝はその次の日から毎日、縁壱がにこにこと微笑みながら下校時に現れるなど、そして童磨の入れ知恵によって過激に猛アタックをしてくるようになるなど思ってもいなかった。

 縁壱の事で頭がいっぱいの巌勝は、それを振り切るように走ることしか、この時はできなかったのであった。