NOVEL short(1000〜5000)

戦闘、開始!


 キャンパス内のカフェテラスで音川に泣きついた友人、富栄(仮名)の話を纏めると、つまり、彼女は恋人を寝取られたということらしい。それも恋人の双子の弟に。  
「あんた、男を見る目がなかったのよ」  
音川はそう言うしかなかった。

 富栄の恋人――いや、元恋人の名前は継国巌勝という。  
「違うの。巌勝さんは悪くないの。あの弟が全部悪いの」  
「だって、双子の弟と寝るなんて、頭おかしいでしょう。私があんただったらトンカチで継国の頭かち割ってるわ」  
「やめて。私と巌勝さんはあいつの被害者よ」  
富栄はさめざめと泣く。

 弟の縁壱は空気が読めず巌勝の気を引くために子供のような駄々をこね、そして恐ろしいことに、独占欲と嫉妬心から実の兄をレイプしたのだと富栄は語る。巌勝は弱くて、優しくて、寂しい人だから弟を放ってはおけないのだ、とも語る。  

 実際のところ、彼女は被害者だ。  
 但し、縁壱の被害者と言うのは正確とは言い難い。彼女は縁壱と巌勝――はた迷惑なあの双子の被害者なのだ。

「だって、彼、言ったのよ。『君は死ぬ気で恋愛したことあるか』って……。『君は俺のことが好きなんだろう』って。『死ぬ気で恋愛してみたい』って私が言ったら、何も言わずに抱きしめてくれた」  
 音川はそれを聞いてやっぱり巌勝をトンカチで殴ってやりたくなった。


 彼女は彼ら双子と出身高校が同じだった。巌勝は音川と同じ大学に進学し縁壱は別の大学へと進学したのだ。高校において彼ら双子の存在は知らぬ者はいないほどであったが、大学では彼に双子の弟がいることを知る者はほとんどいない。  
 そのせいで目の前で泣いている富栄は知らなかったのだろう。彼ら双子は高校生の頃からデキているということに。

 おおかた彼女は縁壱が巌勝を組み敷いている現場を見たに違いない。巌勝の歴代彼女たちはだいたいそうだった。  
 一度なんて音川までその現場に居合わせてしまった。当時の恋人――美知子(仮名)と飲んだ夜のことだった。酔っ払った美知子を彼女の住むアパートまで送ったところ、階段の踊り場で二人がキスをしていたのだ。  
 縁壱は巌勝を壁に押し付け腰をねっとりと動かしていた。まるでセックスしているような動きだった。波打つ彼の背に巌勝は腕をまわしており、縋るようにもがいているのがなんだか滑稽だった。

 音川がちらりと彼女を見ると、美知子はわなわなと唇をふるわせ卒倒せんばかりだ。  
「何してるの」  
美知子の声はやけに大きく響く。その声に、似て非なる二つの顔が同時にこちらを向いた。  
 焦る巌勝に対し、至極冷静に「兄がいつも世話になっている」と言って再び実の兄にキスをした縁壱の真意は今でも判らない。

 美知子は縁壱の肩を掴み巌勝から引き離すと、迷いなく頬をはたいた。縁壱ではなく、巌勝の頬を、である。  
 いいざまね、と、音川はフンと鼻を鳴らしたのを今でも覚えている。  
 その後、美知子は巌勝と別れたらしい。  
「彼、私のこと本気で好きだったって言ったの」  
美知子は笑いながら言っていた。


 風のうわさだが、巌勝は歴代彼女たち――静子(仮名)にも、秋子(仮名)にも、その他の女たちにも、別れる時には「本気で好きだった」と言うらしい。  
 だから、富栄にも「本気で好きだった」と言うに違いないのだ。本気で好きだったと言いながら、富栄を捨てて弟に抱かれるのだろう。  
 音川は「やっぱりあんた、男を見る目がなかったのよ」と言った。


***


 巌勝はザルだ。なかなか酔えない。  
 一方の縁壱は下戸だ。すぐに酔ってしまう。

 そのせいか、巌勝はときおり縁壱に酒を飲ませ酔わせる。そして己を抱くように仕向ける。  
 卑怯で愛らしい兄だ。縁壱は巌勝の黒髪を梳りながら思った。  
 酔っ払ってしまったことを口実に兄を抱けるのであれば、喜んで酔っ払う。アルコールにやられた頭であったとしても、兄の身体が極上であることは解るから。

 それにしても、今回の兄はまた愛らしいと思わずにはいられなかった。
 きっかけはなんだっただろう。巌勝が言うには縁壱が「俺は、死ぬ気で! 恋愛しているんですよ」と言ったのだそうだが、あまり記憶がない。なぜならば酔っていたから。というより酔わされていたから。
「俺も死ぬ気で恋愛してみたい。お前みたいに」
翌朝、一糸まとわぬ姿の巌勝がそう言うのを聞いて、誰とも知らぬ女の影を見た。
 きっと兄は己を愛してくれる女のもとに行く。それは確信だ。だっていつもの事だから。そして己もまた彼女を愛しているかのように錯覚しながら、女からも縁壱からも愛されるのだろう。

 その確信はやはり現実となり、縁壱は巌勝と女の甘い日々を見ながら胸を焦がし時に巌勝を抱いた。
 酷い男だ。本当に彼女を愛している、と言いながら縁壱に愛され悦楽を享受するのだから。


「かわいそうに。また、ふられてしまったのですね」
縁壱が言えば、彼はとても悲しそうな顔をする。
「本当に愛していたのに、結局、俺は彼女を捨ててしまって、今、お前といる」
何故だろう、と巌勝は縁壱に問う。

 そんなもの決まっている。
 巌勝は誰も愛してはいないからだ。彼女たちの誰も。
 唯一、縁壱を除いた誰も愛してはいない。

 でも縁壱はそれを教えてやらない。巌勝が縁壱への恋を自覚するまで、ゆっくりと待つつもりだ。
 縁壱はぎゅうと巌勝を抱きしめた。
「兄上に分からないことは、俺にも分かりません」
「そうか?」
「ええ。しかし、俺は兄上のことが好きですよ」
「ふふ……。うそつき」
 巌勝はひどく穏やかな顔で笑った。

 その顔に、縁壱は彼への恋を自覚した日のことを思い出す。

――――戦闘、開始! 覚悟を決めなければならない。俺は兄上を敬愛する。

 その気持ちはずっと変わらない。
 多分、一生。
 巌勝と死ぬまで。