壱殿のうわさ話
童磨はふと疑問に思ったことを口にした。
「徳川の時代じゃあ黒死牟殿を連れておられることもありましたよね。最近はどうしてそれをされないんです?」
横濱にある西洋館で催されたパーティーでのことだった。無惨は美術商として欧州と取引をしている関係でそこにいた。そして童磨は秘書に扮しているという訳だ。
しかし、かつてならそのお役目は上弦の壱――黒死牟が担っていた筈だ。
純粋な好奇心から童磨は主に訊ねる。
「黒死牟殿を用心棒だと言って連れ回していた事もあったじゃあありませんか。お武家さまでございといった顔の壱殿を連れて歩くのは見栄えがすると前に仰っていたのを俺は忘れちゃいませんぜ」
にやにやと笑う童磨に無惨は目を細め苛立ちを表す。それを見た童磨は「ややっ!」と大袈裟に驚いてみせ「怒らないでくださいよ」と困ったような表情を作った。
「だってねえ。黒死牟殿なら洋装だってサマになる。西洋人だって“服を着た猿”なんて言えない筈ですよ。そりゃあ、見栄えだってしますよ」
ペラペラと話す童磨は無惨の苛立ちが募るのを見ながら言葉を紡いだ。
―――ねえねえ無惨様。教えて下さいよ。減るもんじゃないし、いいでしょう?
すると、無惨はため息をついて“鬱陶しいやつだな”と童磨の脳味噌に直接毒づいき、気だるげに口を開いた。
「やってみたが、見栄えがしなかった」
「へ?」
「奴に一度洋装をさせた。亜米利加の商人から直接買った品だった」
「……そりゃあ、高待遇なことで!」
「五月蝿い。―――しかしな。奴は、あろうことに、一人で着れなかったのだ」
「ほぉ」
「ようやく着れたと思ったら窮屈そうな顔で、親にこっぴどく叱られた子どもみたいに体を縮こませて無様な姿で歩くではないか」
無惨の口調は徐々に怒りを帯びる。
それと同時に童磨の脳内にその時の様子が流れ込んできた。
与えられた服を目の前に困惑したようにキョロキョロと視線を彷徨かせ、やがて申し訳無さそうに「着方が……」と呟く様子。
そして、洋装姿の彼が大きな体を窮屈そうにさせながら、眉を下げて「……これは……好みませぬ……」と慣れない靴に四苦八苦しながらトテトテと歩いている様子。その姿は確かに子どものようだった。
なるほど、これでは格好がつかない。
「そもそも洋装をさせるから擬態しろ言っておいたのに、あの長い髪で来るなど何を考えている。断髪だ何だと叫ばれているのを知らぬではなかっただろう?!」
「あはは。目は六つでなかったから良しとするべきでは?」
ぞんぶんに揶揄を含んだ童磨の言葉に無惨はフンと鼻をならし「六つ目で来たら抉り取ってやった」と忌々しそうに吐き捨てた。
童磨は堪えきれずに「黒死牟殿にもそんな一面が!」と声を上げて笑った。
そして、今度会った時に洋装するコツを教えて差し上げようと決めるのだった。
ちなみに「頭を半分吹き飛ばされても知らんぞ。彼奴はあれでいて短気だ」という無惨の忠告は敢えて聞かなかったことにした。