蛟人奇譚
産屋敷輝利哉の生家は地図にない場所にある。なぜならば、代々隠れて生きているからだ。長男だけが“社会科見学”と称して大学在学中の間だけ“俗世”で暮らすことになっている。
彼の生家は広大な敷地を持つ。そこには幾つもの屋敷があり、産屋敷家の人間たちとその使用人が暮らしていた。中でも一番大きな屋敷は寝殿造の浮世離れした屋敷だ。そこにいると、まるで平安時代にタイムスリップしたかのような心地になる。
輝利哉が住んでいたのは書院造を基調とした和館であり、地下からは撞球室と繋がっている。なんでも明治期に作られた屋敷を移築したらしい。
敷地内では其処此処で藤が咲き乱れ、屋敷の中には小川が流れており、鯉が優雅に泳いでいる。
どの時代でもないような、まるで教科書に描かれた絵巻物のような場所だ。
では、何故彼らが隠れて生きているか。
それは莫大な富を握っているからだ。
産屋敷家は溢れんばかりの真珠を持っている。いや、産み出している。それを“俗世”で売っているというわけだ。
それゆえに彼は幼い頃から真珠に囲まれて暮らしていた。
「真珠はどうやって作られているの?」と輝利哉や彼の姉妹が父親に訊くと、必ず父は「真珠は藤の間で産まれるんだよ」と答えていた。
曰く、寝殿造の屋敷の奥――藤の間には産屋敷家の人間が代々守っている“宝物”があり、その宝物が真珠を産み出しているのだという。
輝利哉も幼い頃はそれを信じていた。
しかし、成長するにつれて、何かがおかしいと気付き始める。産屋敷家は何かを隠しているのだ。そしてその秘密を守るために隠れて生きている。
自分の家は何を隠しているのか。
輝利哉は大学進学の前日に父親に問い詰めた。
すると、父親は悠然と微笑み言った。
「僕が死に、お前が当主になるときに教えてあげよう」
だから輝利哉はその晩、寝殿造の屋敷に忍び込んだ。
寝殿造の屋敷は大叔父に当たる男が住んでいる。身体の弱いという大叔父はめったに姿を現さない。そして使用人も極端に少なかった。
輝利哉は誰にも悟られぬように屋敷の奥へと足を踏み入れ藤の間を目指した。
咲き乱れる藤に覆い尽くされるようにして隠された藤の間の前まで来ると、人間の声と不思議な音が聞こえる。
ああ、ああ、という苦悶するような声。ひそひそとした話し声。そして鈴を転がすような音。
――否、苦悶の声に聞こえたが、これは歓喜に震える声か。
輝利哉はドキリとして息を止める。そして早鐘を打つ心臓をおさえながら藤の隙間から声の主を探そうと慎重に近寄った。
この声の主が“産屋敷の秘密”に違いない。
そう直感したのだ。
果たして輝利哉の直感は正しかった。
中にいたのは二人の男。
但し、一人ははヒトではなかった。下半身が蛇のようであったのだ。いや、月光の色の鱗に覆われた蛇の身体は空気に触れた血のような色をした背びれと尾びれを持っている。ならば龍と言ったほうが良いのかもしれない。
その半人半妖の蛇男は、同じ顔を持つ男に抱きしめられ、その身を貫かれていた。
ヒトの身体にほど近い蛇の身体の一部がぱっくりと割れており、そこに男が性器を抜き差ししているのだ。男根が出入りするそこからは桃色の肉がのぞいている。輝利哉はてらてらと光るそこから思わず目をそらした。
「ああ、よりいち。よりいち……」
「兄上…好きです。好きなのです…好き、好き、好き………」
恍惚としたような声を出す男は蛇男を抱きながらうわ言のように「兄上」と「好き」を繰り返す。
蛇男はやがてその身を震わせて己を抱く男に縋り付いた。
その目からは涙がぽろぽろと溢れ――真珠となる。
輝利哉は気づく。
彼らの周りには真珠が散っているのだ。蛇男が身悶えその身をくねらせると尾が真珠を転がす。月光を反射させる真珠はえもいえぬ美しい光を放ちながら部屋の中を転がっていく。
その真珠を拾う男がいた。大叔父だ。
「縁壱。巌勝」
大叔父は名を呼びながら二人に近づき、頭を撫でる。まるで子どもを褒める親のように。
「よく頑張っているね」
「あ……あ…おやかた、さま……」
蛇男を抱いている男――縁壱と呼ばれた男が大叔父を見て、切なそうに眉を下げる。
「ふふ…あともう少し。もう少し巌勝が涙を出してくれたら、邪魔者は退散するから安心しなさい」
大叔父はそう言って蛇男――巌勝と呼んだ男の顎の下を擽った。
その刺激にも巌勝は身悶え涙を零す。
鈴を転がすような音がする。それは真珠同士がぶつかる音だった。
輝利哉は叫び出したいのを堪えて走って逃げた。
父や大叔父はずっとこれを守っていたのだ。
でも、いつから?
ずっと?
僕もこれを守護して生きていくのか?
ざわざわと藤の木がざわめく。
はっとなり振り返ると、二人を隠すようにしていた藤の木が風もないのに揺れていた。
ここは地図にない場所。
俗世とは異なる場所。
極楽の向かい、現し世の隣にある場所。
輝利哉は天を仰いだ。
月のない夜のことだった。