歳寒と期す
椿が咲いていた。
真っ赤な椿だ。産屋敷邸にひっそりと咲いていた。
巌勝は、はたと足を止めた。
「どうされました?」
縁壱が訊く。
「いや……」
巌勝は心ここにあらずといったふうな返事をする。
「椿が……」
「椿?」
「椿が、咲いている」
縁壱が顔を覗き込むと、巌勝は目を細め、頬をほんの少しだけ紅く染めていた。
「椿がお好きですか」
「……いや、美しいと思っただけだ」
巌勝は椿から視線を外さずに呟いた。
「美しい、ですか」
「そう思うだろう」
縁壱にそう言いながら、人差し指でそっと椿に触れる。その指先を縁壱は目で追った。
巌勝の節くれ立った指が繊細に椿の赤の上を踊り花を愛でる様を、何も言わずに見つめていた。
「巌勝」
と、不意に幼い子どもの声が聞こえ、椿から巌勝の指が離れる。それに落胆しながらも縁壱もまた声のする方へと視線を向けた。
そこにいたのは産屋敷家当主のご子息であった。
「お館様がお呼びでございます」
「御意に」
巌勝は膝をついて深々と一礼するとさっさと歩いていってしまう。縁壱のことなど振り返らずに。
「っ―――、あにうえ!」
思わず呼び止めると、不思議そうな顔の巌勝が「どうしたのだ」と小首を傾げた。さらりと黒髪が流れる。
「あ…………いえ……。椿が、美しいと……」
「は?」
「その、兄上の仰るとおりだと……椿が、美しゅうございます。冬の寒さと約束をしているようで…寒くなってから咲くと約束をしているようです」
縁壱は思わずうつむいて「赤が、美しゅうございます」と付け加える。
椿の赤が、美しかったのだ。兄の指が愛でたその赤、踊る指先を美しく彩った赤が。
「………」
何も答えずに立ち去る巌勝の後ろ姿を名残惜しく見つめ、そしてすっかり彼の姿が見えなくなると、縁壱は、ほう、とため息をついた。
椿を見る。とても美しい。
縁壱は鼻をうずめ、甘えるように顔を擦り寄せる。
そして恍惚としたまま、ぱくりと椿の花を食んだ。美しい冬の赤は縁壱の口の中に消えていったのだった。