NOVEL short(1000〜5000)

☓☓ is blind


 縁壱は妻を失ったときに、喜怒哀楽――おおよそ感情と呼べる一切のものも失ってしまったのだと思っていたよ。  
 そう産屋敷家当主は口もとに微笑みを浮かべながら言った。

 煉獄は苦笑を禁じえない。おそらく最近の縁壱の“わがまま”を揶揄しているのであろう当主の言葉に「喜ばしいことですな」と返した。  
 確かに拾われたばかりの頃の縁壱には感情というものが欠落しているかのようだった。ただ心臓を動かしているだけの少年。鬼を狩る才を宿した人形のような、がらんどうの瞳の少年。  
 怒ってもいいのだ、憎んでもいいのだ、と産屋敷家当主は言った。  
 怒りも憎しみも縁壱だけのもので、悪いものではないのだよ。君には才能がある。だから、誰かを守ることで君の魂を救うんだ。鬼を滅しなさい。それが君の生き甲斐となるはず。

 しかし、その言葉も縁壱の感情を再生させるには足らなかったらしい。

 珍しく苛立っているらしい主君の隣で、煉獄はため息をついた。  
 歳の離れた弟のような存在の縁壱。先程まで“わがまま”を言って我々を困らせた彼。そのわがままに安心していた。しかし、やはり、あの双子には困ったものだ、とこめかみをおさえるのだ。


 縁壱がわがままを言うときは決まっている。  
 兄の巌勝に関することだ。

 最初のわがままは「同じ家で生活をしたい」だった。生き別れた双子の兄弟なのだ。勿論、産屋敷は快く了承した。  
 次のわがままは「兄が呼吸法を知りたがっているので自分が教えたい」だった。巌勝には即戦力となる剣の才能があった。ならば縁壱から呼吸法を学び鬼狩りの主力としての働きをさせるべきだ。これもまた産屋敷はすぐに了承した。  
 その次は「兄の初陣に同行させてほしい」だった。ちなみに、これは巌勝が断っていた。  
 その次は「兄が遠方の鬼を狩るに行くなら俺も行く」で、更には巌勝が柱に叙され住まいを与えられると「兄の住まいに俺も住みたい」と言い出す始末。

 それだけならば、まだ良いのだ。
 巌勝が遠方での任務から帰った日は兄の側にいたいと言い出した。それは困る。縁壱と巌勝にはそれぞれで鬼を狩ってもらわねばならぬのだから。
 煉獄は二人が共にいる時に理由を問いただした。あわよくば巌勝に窘めてもらおうと思ったのだ。縁壱は巌勝の言葉ならば素直に聞き入れる。丁度、巌勝が遠方での任務から帰り、縁壱が彼のもとを訪ねていた次の日を選んだ。
 すると問いただされた縁壱はぽっと頬を赤らめ口ごもる。おや、と思い巌勝を見ると、巌勝は顔もまた顔を赤くさせていた。そして青くさせ、次に土気色にさせる。
「……俺と…兄上は………その…」
口ごもる縁壱が口にすると「煉獄殿の言うとおりにせよ」と巌勝が口を挟む。
「今がおかしいのだ」
「っ……しかし、おれは…」
縁壱は狼狽えたように目を泳がせる。巌勝は「くどい」と冷たく突き放す。呆然とする縁壱に、煉獄は思わず「任務がなかったら、もちろん……巌勝殿に会いにいっても構わないのだがな」とつけ加えてしまう。

 それを聞いた瞬間に縁壱は分かりやすく気を持ち直した。
「兄上。私は精進いたします……兄上に認めていただけるよう働きを、必ず」
縁壱はうすらと微笑みを浮かべて巌勝を見つめていた。
「そうしたら………その……、褒めて…いただけますか?」
照れているのだろう。甘く、小さな声だ。
「………そうだな」
 対して、巌勝は不可思議なものを見るような顔で縁壱を見ていた。


「縁壱は、時折、ああして笑うのです」
後日、巌勝は煉獄にそうもらしていた。
「縁壱は喜怒哀楽という一切の感情の機微を見せぬのですが……ああして笑うとき、私はどうしたら良いのか分からないのです」
眉根を寄せ、苦しそうに告げる巌勝に、煉獄はぱちぱちと瞬きを繰り返す。
「……驚いたな」
「………ええ。兄として不甲斐なく思います」
「いや、そうではない。貴殿は気づいて居られぬのですね」
キョトンとした巌勝に、煉獄は「いやはや、驚いた」と繰り返す。
「縁壱殿は、貴殿と再会してからというもの、喜びます。哀しみます。楽しみます。――そして、ときどき、怒ります」
感情の機微をあまり見せずとも、確かに彼の心は豊かに動いているのが分かる。それが如実に現れるのは巌勝を目の前にした時だ。
 それなのに、巌勝は縁壱のそれに気づかないと言うのか。

「本当に……分からぬのですか?」
縁壱の瞳は、言葉にしない想いを一途に巌勝へと伝えている。あれほど分かりやすいというのに。煉獄は思わず責めるような口ぶりで問うてしまう。

「……分かりませぬ」
巌勝は言った。うなだれ、苦しんでいるような顔で、歯を食いしばっている。
「ずっと………ずっと、離ればなれで…我々は双子なのに……何もかもが、違う。同じであるはずなのに………違うのですから……」

 当たり前だ。双子の兄弟であっても、同一はありえないのだから。
「……巌勝殿。貴殿は、縁壱殿と共に…もっと、縁壱殿と共にあるべきかもしれませぬな」
そして、ともに、喜び、怒り、哀しみ、楽しむべきなのかもしれませぬ。
 それを聞いた巌勝はますます苦しそうな顔をした。

 煉獄は、その顔がいつまでも忘れられない。