A Lullaby before Dawn
兄は弟の為に子守唄を歌った。
沢山の死者を出した鬼の討伐から帰還した夜の日のことであった。
縁壱は次期の風柱と目された若者と共に、三十余人ばかりで海に出るという鬼を狩りに行った。
鬼は狩った。
しかし、生きて帰った者は縁壱含め五人であった。
鬼の術により仲間たちは互いに殺し合ったのだ。罪悪感を抱えたまま涙を流しながら止められぬ己の内の残虐性を顕にしながら。それを鬼が大口を開けて喰らう。
まさに地獄絵図だった。
その鬼の首を撥ねたのは縁壱だった。
術が解け、何人かは己が斬り殺した仲間の死体を見て腹を切った。
討伐は成功だったと言われた。
縁壱でなければ斬れぬ鬼であったと皆が口にした。もうこのような悲劇は起きまいと縁壱を称える。そして風柱の屋敷では悪鬼討伐の宴が催され貴重な酒が振る舞われた。縁壱のおかげで最小限の被害で済んだのだ。討伐の成功したのなら今まであの悪鬼に食われて死んだ仲間たちも浮かばれよう。そう言って酒を飲み勝利を噛み締めていた。
縁壱は一口も口にはしなかった。
そしてひっそりと屋敷を出る。夕刻過ぎに屋敷へと帰還し、そのままその夜に宴となりもう朝日が昇っている。
縁壱は地面を強く蹴って駆け出した。
「突然どうしたのだ」
目を丸くさせた巌勝の顔を見て、縁壱は知らず兄の屋敷へと向かっていたらしいことを知る。
「兄上……」
縁壱がふらりと近づくと、巌勝は目を細めた。
「兄上、兄上」
「縁壱」
ぐいと腕をひけば、ぽすんと胸に顔をうずめる縁壱。頬を擦り寄せる弟の背に巌勝は腕を回した。
「縁壱、おいで」そう耳元でささやかれ、縁壱は顔を上げる。
「おいで。縁壱。兄さんが助けてやろう。お前が悲しむことも苦しむことも、この世界には何もない。お前の世界はうつくしくあるべきだから」
縁壱の唇を指でなぞりながら巌勝は苦しそうに微笑む。
「兄上さえいれば、何もいらない」
そう言うと巌勝はくしゃりと顔を歪めた。
「兄上に全部あげます。だから、兄上を全部……」
言いよどみ、兄の腕に縋る。
すると兄は何も言わずに縁壱の下唇をぺろりと舐めてから、柔らかく歯を立てた。
「ゆるす」
その言葉を合図に縁壱は大きな口を開けて巌勝を食らった。
兄の身体はどこもかしこも甘い。縁壱は、ぼうとする頭で思う。
眼の前に広がる兄の身体は鍛え上げられており、細かな傷がある。丸まった背には玉のような汗が浮かんでいる。それを舐め取ると背を反らせ艶やかに啼く。はらりと長く美しい髪が背にかかり、揺れる。
暗闇に浮かび上がる兄の背は縁壱の一挙手一投足に反応をかえしている。それを見つめながら、何もかもを忘れて縁壱は兄に溺れた。
思うままに兄の身体に溺れ、眠った縁壱は、兄の歌声で目を覚ます。兄の腕の中。巌勝は縁壱の背を優しく叩きながら歌っていた。まるで幼子に子守唄を歌うような、そんな声。
―――この頃都に流行るもの。
―――夜討ち、強盗、虚いくさ。
どこかで聞いたことのある歌。そう思った。
―――生首、つみびと、から騒ぎ。
兄の声は柔らかく、そして物悲しかった。
そして思い出す。
「兄さんが、子守唄を歌うてやろうな。
いとが歌ってくれた子守唄だ。兄さんの腕の中で安心してお眠り」
そう言いながら嵐の夜に訪れてくれた、幼い頃の記憶。優しい兄。あの頃から変わらない。兄は弟の光だった。
―――この頃都に流行るもの。
―――夜討ち、強盗、虚いくさ。
―――生首、出家、にせ大名。
―――下剋上する成出者。
―――から騒ぎ。
縁壱の目からぽろぽろと涙が溢れる。
空は白み始めていた。