NOVEL short(1000〜5000)

あやとり


 縁壱は暇を持て余していた。
 眼の前の六つ目の鬼――黒死牟はその全ての目を瞑り壁に背を預けて座り眠っている。否、眠っているふりをしている。鬼は睡眠などとらない。縁壱はそのことを知っていた。縁壱はわざと黒死牟にもたれるようにして二本の足を投げ出すようにして座った。ぐりぐりと後頭部を押し付ける。しかし、彼からの反応はない。縁壱はむむむ、と眉をひそめた。


 二人がいるのは坊主のいなくなった寺である。もっとも空き巣が全てを盗っていってしまったのであるから、『元』寺であるのだが。縁壱と黒死牟はここで日中の太陽を凌ごうというわけであった。主の失った寺というのはどこか大口を開けた獣の死体のようであり近づくものは滅多にいない。
 彼らにとって都合のいい隠れ場であったのだ。

 だが縁壱はここが嫌いだった。何故ならば、こういっただだっ広い場所では黒死牟は「もっと場所を広く使って身体を休めろ」と腕の中で眠ることを拒絶するからだ。
 狭い場所――例えば洞窟なんかはとても良い。暗闇の中で黒死牟が小さな縁壱を抱えてくれる。彼の機嫌が良いときなんかは、縁壱が求めれば子守唄を歌ってくれることすらある。

 しかし今日はどうだ。黒死牟は床の上にコロンと縁壱を転がして「身体をのばして眠れ」と言ってくるではないか。何か言おうと口を開けば六つの目を閉じて狸寝入りときた。縁壱はぷくっと頬を膨らませていじけてみせると手慰みに真っ赤なあやとりを取り出した。
 黒死牟から教わったひとりあそび。体の小さな縁壱には長すぎる赤い紐。それを器用に操った。
 黒死牟は気が向くとそれで遊んでくれる。彼の大きな手に丁度よい長さの紐を二人で操るのだ。指と指が触れ、黒死牟の手のひらがそっと己の手に添えられ、時に紐を銜えて。それらの一つ一つに縁壱はまるで胸の奥で一斉に小鳥が飛び立つような心地になる。だからあやとり遊びは好きだった。

 と、ここで縁壱はパチパチと瞬きを繰り返して手首と指に絡まる紐を見た。そしてじわじわと頬を紅潮させて瞳をきらきらと輝かせる。縁壱は黒死牟をチラリと見てフフンと笑った。黒死牟の意識を己に向ける方法を見つけたのだ。
 赤い紐の結び目を解き両端をそれぞれの手に握る。そして黒死牟の前に膝立ちになると、えいやっとばかりに紐を黒死牟の頭上からおろした。そして手綱を引きしぼるように紐を引っ張った。寝たふりをしていた黒死牟は不意打ちの縁壱の悪戯に、ほんの少しだけ上体を傾け一つの目――左の真ん中の目だけを薄らと開ける。
 これならば黒死牟とて無視できまい、と縁壱は口元に笑みを浮かべた。そして案の定、黒死牟はぐるぐると瞳を動かしてからじっと縁壱を見つめる。その瞳に、けぶる睫毛に、縁壱の胸の奥で一斉に小鳥が羽ばたいた。

 ぐいと紐を更に引きながら顔を近づけ閉じられた左の上のまぶたをちう、と吸い、縁壱は言う。
「日が沈むまで、縁壱と遊んでくださいませ」
黒死牟は諦めたように大きなため息をついた。その吐息が首筋にかかり、縁壱はふるりと震える。
「……では、何がしたい」
黒死牟が問う。縁壱は紐を引く。二人の体が密着し、すりすりと縁壱は黒死牟に頬ずりをしながら言った。
「おれと、こうしながら、あやとりをしましょう」

 困ったような黒死牟の「お前にこうされていては、あやとりは出来ぬ」という声に、縁壱は満足げに微笑んだ。