私のお兄さん
母から「お兄ちゃんを起こしてきて」と頼まれる。縁壱は「はぁい」と返事をして足取り軽く兄の部屋に向かった。背後で「夜遅くまで勉強するのはいいけれど、朝起きられないのは問題ね」と母が言っているのが聞こえた。
「べんきょう……」
縁壱は口の中で繰り返してくすりと笑う。夜のアレが『勉強』と呼ばれるのは何だか胸がそわそわするような、叫びだしたくなるような、そんな心地になる。
今年で九つになる縁壱には歳の離れた兄がいる。大学生の兄は縁壱の憧れ、初恋、そして前世からの愛する兄そのひとでもある巌勝その人であった。
産まれてからぼんやりと漂うように生きていた縁壱は七つの春の日にすべてを思い出した。ソファに座る兄の腕に抱かれ、兄の子守唄を聞きながら微睡んでいた時のこと。長い夢を見た。夢の中で前の生でのすべてを見た。
すべてを思い出した縁壱は大きな両の瞳から大粒の涙を流して「兄上」と己の兄の首に細く短い子どもの腕を回した。優しくて大好きな優しい憧れの兄だった人は、狂おしいほど恋しく愛おしい人へと変貌する。
「……よ、り……いち……」
戸惑ったような声は、巌勝が確かにかつてのことを覚えているのだと縁壱に確信させるに十分だった。
「……忘れたままの方が幸せだったのに」
しかし、巌勝はそう言った。
「兄上は、俺のことを忘れたかったのか?」
「忘れたかった……いや、一度は忘れることができた……」
ひゅ、と縁壱は息を呑む。そんな弟に、兄は冷たく言った。
「私は、お前の兄であることを捨てたかった。鬼となりてお前とのきょうだいの縁を捨てたのだ」
「あ、あなたはいつだって、俺の、兄上だ。あの夜でさえも、鬼となったとてあなたは、俺の兄上だった!」
パキパキと縁壱の中の深い部分に罅が走る。
「鬼となりて一度はお前の兄ではなくなって……なんと息のしやすい世界かと思った。それなのに、お前があの夜に現れた故に……忘れたくとも…………忘れられなくなった……私はお前の兄であることから逃げられぬのだと、気付かされた」
記憶よりも幾分幼い兄の声。
「今生では……お前が忘れているから、私は、今度こそお前の良い兄さんでいられると思ったのに。小さなお前の手が私の指を握る度、お前が無邪気に『お兄ちゃん』と私に抱きつく度、そう思っていたのに」
恨めしげな兄の声。
縁壱の深いところに入った罅。それが広がり、みるみるうちに崩壊を導く。
否、それは崩壊ではなかった。孵化であった。兄の言葉が縁壱の深いところに眠っていたものを目覚めさせた。
目覚めたのは化け物だ。化け物は縁壱に囁く。この男を――愛おしく、そして得がたいこの兄を、我が物にせよ、と。
縁壱はその囁きに従った。
「忘れたいとすら思えないほど俺のことを刻みまする。兄上が今まで通りの俺の――この幼い俺の『お兄ちゃん』でいたいと言うのなら、それでも宜しい。『ね。お兄ちゃん。身体の隅々まで俺に刻まれて?』」
兄の目が見開かれ、唇が戦慄く。
縁壱は甘えたな声で「『お兄ちゃん大好き』」と微笑み、その唇を奪った。巌勝は暫く縁壱の舌から逃げていたが、やがて諦めたように力を抜く。
「ぁ……っ、はぅ……んッ!」
小さな子どもの指で耳を塞ぐと、たまらない、と言ったふうに身をよじって快感を逃がそうとする仕草がいじらしいと思った。
その日から、夜になると『かつて』を思い出すべく兄の身体に触れていた。身体の隅々まで。
昨晩もそうだった。己の幼い指先一つで低く甘い声で鳴く兄。極上の楽器のようだった。
昨晩も行われたそれを思い出し、ふるりと震える。そして「兄上起きて」と、ベッドに乗り上げ巌勝の腹に跨るようにして肩を揺さぶり起こした。
「んっ……は、あ……あぅ」
薄らと目を開ける巌勝は熱っぽい吐息を漏らす。潤んだ瞳が縁壱をとらえて揺れた。
「寝たふりをしていたのですか? 悪い子ですね」
「お前の、せいだ」
縁壱を詰る声はか細く震えている。とても可愛らしい、と縁壱は舌なめずりをする。
兄の中にはまだ昨日遊んだ玩具が埋まっている。そして彼の性器は根本を縛られ戒められているのだ。そのせいで夜からずっと熱と疼きに苛まれているのだろう。
「昨晩は大変愛らしゅうございました………まるで、あの日の……ああ、覚えていらっしゃいますか? 兄上が鬼狩りとなって二度目の冬の日……雪の降る日の夜のことを」
「覚えておらぬ……それよりも、縁壱……」
悔しそうに縋るその姿に縁壱は、ほう、とため息をついた。そしてにこりと笑い兄の頬を撫で、そのまま首筋、鎖骨、と指先を滑らせる。
「ふ……ぅ……ぅう……」
巌勝が唇を噛むのを目を細めて「忘れるなんて、酷い」と囁いた。
「っ!」
縁壱は巌勝の体に寝そべるようにして首筋に顔を埋める。そして膝で下腹部をすりすりと円を描くように撫で回した。そこに感じるのは、勃起した兄のもの。
「あう、あっうぁ……あ、あ、あ゛っ?! や゛っあ゛っ」
そこを優しく撫で回していたのたが、一点、そこを押し潰すように体重をかけて左右に揺さぶれば目を見開いて身悶える巌勝。
しばらく縁壱がその姿を楽しんでいると、遂に巌勝はボロボロと涙をこぼして「イかせてくれ」と訴える。
「『お兄ちゃん、でも、早く起きないとお母さんに怒られちゃうよ?』」
縁壱の言葉に巌勝の目に怯えが走り、しかしすぐに剣呑な光を宿し、キッと縁壱を睨みつけた。
「お前なんて、弟とは思わない。縁壱はそうじゃない」
その言葉と瞳に、縁壱の背にビリビリと電流が走る。
――ああ、あの時の……変わり果てた姿であるが、確かに俺の兄上だったあの人の、俺を見る瞳に近づいた。
――あと、もう少し。あともう少しで、俺は、兄上を手に入れられる。
縁壱は巌勝に口付け、いつか遠くない未来、己のことを身体の隅々まで刻みつけた兄を抱く日を夢想しうっそりと微笑むのだった。