刃が届くとき
かつて煉獄は縁壱を羨まずにはいられなかった。
類稀なる剣技、肉体の強さ。それと同じものを己が持っていれば、どれほどの命を助けることが出来ただろうか。眼の前で仲間たちが命を落とせば縁壱への羨望が募り、そして鍛錬に打ち込んだ。
しかし、鬼狩りを引退した煉獄に、縁壱への羨望はもはや一欠片も残っていなかった。彼の心が縁壱に向けるのは哀れみばかりである。
煉獄は縁壱を実の弟のように想っていた。己が拾った哀れな子ども。才を開花させ鬼狩りの中心となった縁壱は親友でもあったのだ。そんな彼が鬼狩りを追放となった後も煉獄は幾度も連絡を取った。この世に居場所がないと、かつてそう洩らしていた縁壱を放っておくことは出来なかった。
恥を承知で縁壱に鬼の討伐を依頼することもあったが、それは彼の剣を頼ると同時に、鬼狩りこそが縁壱を世界に繋ぎ止める唯一のよすがであると思っていたからこそである。
そうして久方振りに顔を合わせたとき、煉獄は縁壱が随分と虚ろな目をしていることを痛ましく思った。もしやすると、兄の離反と仲間からの追放は彼を酷く弱らせたのかと思った。
けれども縁壱の剣を一目見るだけで、それは全くの思い違いだと知ることとなる。
彼の剣は変わらず――いや、鬼狩りたちに囲まれていた頃よりも、ずっと洗練されていた。それはまるで精霊の舞のように美しい。
「君の剣は、ますますその美しさを増した」と煉獄は言った。
それを聞いた縁壱は薄らと、美しく――そして痛々しい笑みを浮かべ囁く。
「兄上を深く、深く、心に想う。すると、研ぎ澄まされるのだ。いつかこの刃が兄上に届くと、そう、思える」
煉獄は思わず口籠った。
刃が届く――つまり、鬼となった兄をこの手で討伐する、と、彼はそう言いたかったに違いない。
しかし、煉獄は思う。
――いいや、そうではないだろう? 君のそれは違う。
縁壱の剣はもはや鬼殺の剣ではなくなっていた。縁壱は己をも欺いている。鬼の始祖を、ひいては鬼となった兄を討伐せんと剣技を高めたと己に言い聞かせているが、彼の振るう剣はあまりに無垢で美しすぎるのだ。
強いて言うのであれば、それは祈り。
あれは、愛しい人に捧げた祈りの剣である。その刃に想いをのせ捧げるための舞だ。
あの剣に殺意をのせることは出来ようもないだろう。
縁壱に兄は殺せない。もはや鬼殺は成し遂げられぬ。
「美しい。君の剣は、悲しくなるほどに美しい」
煉獄はそう言った。縁壱は微笑み一つ浮かべずに青空に浮かぶ白い月を見つめていた。
その日を堺に煉獄は剣を持っていない。己の息子に鬼殺の剣を教えて、継がせる。悪鬼滅殺の想いをつなぐ。
ただ、時折、旧い友を思い出す。
友の剣は愛しい人を守るための祈りとして継がれるだろう。しかし、彼が剣にのせた愛しい人への狂おしいほどの想いは唯一人縁壱のものだ。
煉獄は思う。その想いは誰にも知られず、土足で踏み込まれることなく、新雪の如き白さのまま、世界から葬り去られるべきである、と。
そうであるからして、煉獄は二人の兄弟の記述を炎柱の書から抹消した。
世に伝わるべきは最強の剣士だけで良い。そう強く願った。