NOVEL short(1000〜5000)

声変わり


 それはもう八年も前のことだった。
 炭吉が小学校六年生の時、同級生の縁壱が行方不明になった。十二歳の縁壱は引っ込み思案で穏やかな少年だった。運動が得意で、勉強は少し苦手。心根が優しく、しかしどこか不器用な彼のことを炭吉はどこか放って置くことのできない、弟のような存在に感じていた。
 そんな彼が行方不明になったのだ。炭吉は気が気でなかった。
 どこかで迷子になった?いや、それならお巡りさんが彼を家まで連れて行ってくれるはず。それとも家出?まさか彼に限ってそんなことはあるまい。では事故にあってしまった?もしかして誘拐?
 当時の炭吉はどんどんと悪い方向に考えが膨らみ夜も眠れぬほどだった。それほど炭吉は縁壱のことを大切な友人と思っていたのだ。


 縁壱が見つかったのはは行方不明になってから一ヶ月後だった。彼は保護されたのだ。
 縁壱のそれは『家出』だったのだと炭吉は聞かされた。しかし、実は『誘拐だった』と大人たちは言っていた。
 誘拐犯と言われているのは近所に住む大学生の時透巌勝だ。彼は縁壱が行方不明になったその日に『手紙』を遺して『家出』をしていた。手紙には『お父さんお母さん、どうか私をゆるしてください。そしてわたしのことはどうぞ忘れて、いなかった者とお思いください』とあったのだとか。そして一ヶ月後に縁壱とともに保護された。巌勝は縁壱と違い酷く衰弱していたらしい。
 街には巌勝は小児性愛者で自分に懐いていた縁壱を拐い、その罪悪感で衰弱したのだという噂が瞬く間に広まった。その噂のためか、発見から半年後に巌勝ら家族は街から夜逃げのように去っていった。そして縁壱ら家族もまた街から去った。
 それから炭吉は彼らに一度も会っていない。


 しかし、二十歳になった今、ふとした瞬間に彼のことで思い出すことがある。
 縁壱はその頃声変わりが始まっていた。喋りにくそうにしている彼を炭吉が気遣うと縁壱は嬉しそうに喉を擦りながら「いつもあの人との年齢の差が埋まらないのが嫌だった。だから声変わりが始まって嬉しい」と言った。
「どうして?」と炭吉が問う。
「大人に近づいている。兄上・・は言った。大人になったら――」
そして縁壱は幸せそうにしながら小さな声でそっと耳打ちしたのだ。
「大人になったら、好きにしていいって、約束した」

 炭吉にその時の言葉の意味が分からなかった。ただ、なんとなく今は思う。きっと巌勝が縁壱を拐ったのではなく、縁壱が巌勝を拐った。
 声変わりが始まって、大人になって、約束を果たした。

 確証はない。ただそう思うだけだ。