「縁壱さんって好きな人いるんですか?」
直球の質問に、縁壱はポポポと顔を赤らめ、そして無邪気に笑って「炭吉はすごいな。なんでも分かってしまうのか」と言った。
都内某所の喫茶店。カラン、と氷が溶けて小気味よい音が鳴る。
炭吉は、ははは、と笑って「分かり易すぎますよ」と言うしかなかった。
継国縁壱は新進気鋭の若手俳優である。
恵まれた体躯と整った顔立ちを持つ彼はもともとモデルとして芸能活動をしていた。そんな彼が俳優デビューを果たしたのは数年前。とある監督のドラマ作品に出演し、その際のスタントなしのアクションで注目を集めたというわけだ。
しかし、彼のファンの多くが惹かれているのは彼のビジュアルや身体能力だけではない。縁壱はどこか影のある青年だ。孤高の存在であるかのように、あるいは孤独を抱えているかのように、独特な影を抱えた青年だった。かと思えば無垢な一面を見せる彼は『繊細』だと評されることが多く、そこが彼の魅力でもあったのだ。
その縁壱であるが、最近何かが変わった。何人かいる彼のマネージャーは口を揃えてそう言っている。そのうちの一人である炭吉も同じように思っていた。そしてファンはその変化に気づかないはずもない。彼はどこか浮ついているような、無邪気な子どものような印象を与えるようになったのだ。――ファンの言葉を借りるなら『赤ちゃんみたい』になった。
「イメージチェンジ?」
「どんな心境の変化が?」
マネージャーたちのグルーブラインでは今日も会議が行われている。
しかし、彼らは一つの可能性には目をそらしていた。厄介事の元になる『可能性』。できればそれでなければいい。そう思っていたが、それ以外の思い当たる節はない。否、その『可能性』だって思い当たる節はないだろうが、これはもう直感としか言いようがない。しかし誰も指摘しない。
不毛な会議は一ヶ月つづき、そして遂に一人がその『可能性』を指摘した。
「もしも縁壱に恋人が出来たならすぐ対応しなきゃいけないからさ。調べてきてよ。で、もしも誰かいるなら、一応本人にも釘刺しといて。それかその女にそれとなく身を引くように言っておいて。これ、マネージャーの仕事だから」
そのメッセージはご丁寧に一番年下である炭吉宛てに送られていた。
先輩たちから送られる多種多様な「よろしく」スタンプを、炭吉はただ眺めることしか出来なかった。確かに縁壱が一番心を開いているのは炭吉である。だが気乗りしなかった。
調べるって探偵みたいに?
それではバレた時に関係が崩れてしまうのではないか?
だいたい本人の恋愛事情にそこまで首を突っ込むのはいかがなものか?
これはマネージャーの仕事なのか?
散々考えた挙げ句、炭吉は直球で本人に訊くことにしたのだ。そして話は冒頭に戻る。
「わかりやすい?」
縁壱はツツジ色の目をぱちぱちさせて繰り返す。
「ええ。目に見えて……こう………恋してますって顔をしていると言うか」
「ああ……ファンの子がやたら可愛くなったと言っているのはそういうことか」
炭吉は縁壱がエゴサをかけていることに驚いた。
「ち……ちなみに……相手はどんな人です?」
「これは恋バナか?」
天然で言っているらしい縁壱はすこしうずうずしている。ファンが見たら『赤ちゃんみたい』で可愛いなどと言うのだろう。
「……ひとめ見て、雷に落とされたみたいな衝撃を受けたんだ」
炭吉は何も言っていないが、縁壱は語りだす。
「誰かに聞いて欲しいと思っていて、色々考えて、丁度炭吉の顔が浮かんでいたのだ」
信頼を寄せる言葉を加えられてしまうと、炭吉の負けだった。
そこからの縁壱は止まらなかった。その恋する人がいかに美しく、聡明で、優しいか。愛らしい一面があるかを訥々と口にする。その口ぶりからおそらく相手は一般人。しかも縁壱の片思いであるらしい。炭吉はそれを聞きながら「恋するっていいな…」などと思っていた。ファンに手を出したわけではなさそうなことに安心していたのだ。
そして長い長い縁壱の話が終わると最後に炭吉は忘れてはならぬとばかりに訊く。
「それで、そのお相手って、誰なんです?」
すると、縁壱は顔を更に赤らめ、へにゃりと笑って「あそこの……」と言った。
「あそこ?」
「ああ。あそこにいる…ほら……」
縁壱の視線の先を追う。
そこにいたのは二人の店員。金髪の男と黒髪の男。金髪が炭吉と縁壱を見てニヤリと笑い黒髪を小突く。黒髪は嫌そうな顔をしてからこちらを見て、ぎこちなく笑い、そして手を振った。
「〜〜っっ!!」
縁壱が声にならない声を上げて顔面を両手で覆う。
「もしかして……彼?」
炭吉は縁壱に訊く。
「か……かわいい………」
縁壱の返事は答えになっていなかったが、それだけで十分だった。
炭吉は再度、店員を見る。金髪は笑い、黒髪は顔を真っ赤にして困惑していた。
「炭吉。お前は応援してくれるか」
縁壱のきらきらした瞳に気圧され、炭吉は思わずコクリと頷いてしまった。
「さすが炭吉。俺のマネージャーだものな。どうか俺と彼が上手くいくように手伝ってくれ」
「ははは……それはマネージャーの仕事ではありませんよ」
「そうなのか?」
「ええと、強いて言うなら、友人として……応援します」
「心強い」
縁壱はにっこりと笑った。炭吉も笑うしかなかった。
ただ、きっと彼も悪い人ではないだろう。そう思った。これは直感だ。そして炭吉の直感はよく当たる。マネージャーとしての仕事は……また数日後にしようと決めた。
「……それにしても……はあ、連れ帰りたい」
縁壱の漏らした言葉に「犯罪行為はやめてくださいね」とすかさず言ってすっかり氷の溶けて薄くなったコーヒーを飲み干した。
炭吉が縁壱の自宅で例の黒髪の店員とうっかり再会してしまうことになるのはそのわずか三日後のことだった。