NOVEL short(1000〜5000)

誰が彼を知っている?


 継国巌勝が鬼に寝返ったと知ったとき、男――弥兵衛はしたり顔で「いつかこうなると思っていた」と言った。それを聞いた者らは顔を見合わせ「おい。滅多なことを言うんじゃねえよ」と窘めた。
 しかし弥兵衛は「おれは知ってンだよ。あの裏切り者の本性を」と言って「前に任務で、あいつの本性を見たんだ」と声を潜めた。他の男たちは彼ににじり寄り耳を澄ます。その瞳は好奇心に光っていた。
 弥兵衛はその光を見て満足気に息をつくと、舌で唇を湿らせて口を開いた。


 曰く、それは継国巌勝がまだ柱となる前のことであったそうだ。弥兵衛と巌勝を含む五名の剣士が隊を組み山へと赴いた。相手取る鬼は知恵のある鬼であり、随分と手こずっていたそうだ。
 巌勝という男は武家の棟梁であったということであったが、なるほど、確かにひとかどの人物であることが見て取れた。剣の腕も確かで頭も切れる。
 そして何より、人の上に立つことに慣れていた。彼は常に支配者然としていたのだ。農民を人とも思わぬ偉ぶった侍どもとは違うのは、不思議なことに弥兵衛を含む鬼狩りたちは誰に言われるでもなく彼に服従していたことであろうか。

 巌勝は男たちに命を下して罠を仕掛けさせた。罠を仕掛けるのは酷く骨が折れ、終わった頃には男たちは疲労困憊の有り様であった。それでも不満はなかった。むしろ奇妙な高揚さえあった。
 かくして仕掛けられた罠は巌勝の期待通りの成果を上げることとなる。鬼狩りたちは砂と消えゆく鬼を前にして歓喜に声を上げた。

 しかし、弥兵衛はその時の巌勝の顔が忘れられない。その時の巌勝は極めて冷静に、そして冷酷に、己の仕掛けた罠がどのように作用したかを観察していたのだ。ごっそりと感情が抜け落ちたかのような、能面のような顔――そしてその瞳は、まるで深い深い湖の底を覗き込んだ時のように、昏かった。
 弥兵衛の背筋にヒヤリとしたものが伝った。どうしてこの男はこのような顔ができるのだろうか。鬼への憎しみや怒りで歪んだ顔のほうが、余程恐ろしくないだろう。弥兵衛は巌勝に言いようのない怖れを感じたのだ。

 それにもかかわらず、他の鬼狩りどもは「巌勝殿!」と熱に浮かされたような顔で彼を称えるべく走り寄るのだ。巌勝は柔らかい笑みを浮かべて彼らの労をねぎらった。
 その変化もまた、弥兵衛には恐ろしかった。平生は気難しげに眉根を寄せているか、ツンと澄ました顔をしているというのに。まるで別の男の顔の皮を貼り付けたかのように、優しい笑みを浮かべたのだ。先程まで、いっぺんの感情もない顔をしていたというのに。
 その恐れるべき変化に気づかぬ鬼狩りたちは、巌勝から微笑まれ浮足立っている。中には「おれは貴方様についていきます」なんて言い出す者もいるではないか。とんだ茶番だった。

 それから数刻後、日が昇ると男たちは藤の花を掲げる家を目指すこととなった。鎹鴉に報告を託し、藤の花の家で疲れを癒やしてから産屋敷邸に赴く運びとなったのだ。
 向かった藤の花の家は商家であった。なんでも巌勝に恩があるらしい。彼らは宴を開いてもてなした。弥兵衛がちらりと巌勝の様子をうかがうと、やはり彼はもてなされることに慣れている風であった。
 藤の花の家の者に声をかけられると、巌勝は人当たりのよい笑みを浮かべる。が、ふとした瞬間に詰まらなさそうな――まるで孤独な少年のような顔を浮かべていた。そんな彼を放っておけないらしく、藤の花の家の者らは懸命に巌勝をもてなしていた。必死になって彼の微笑みを引き出そうとするさまは滑稽ですらあった。

 そして翌朝、弥兵衛は巌勝の本性をこの藤の家で見た。
 藤の家で一晩を過ごした朝、鬼狩りたちの中の一人が藤の家の者に捕らえられていた。聞けば、この者は酔った挙げ句に藤の家の娘役に手を出したということだ。男の名を喜助と言った。
 主人は巌勝に言った。
「申し訳御座いませぬ。きっと我が娘が鬼狩り様を誘ったのでありましょう」
「………ほう?」
巌勝はピンと片眉を跳ね上げさせた。それを見た主人は顔を強張らせて「鬼狩り様を解放せぬか」と命じた。遠巻きに様子をうかがっていた使用人たちはヒソヒソと囁き合っている。ああ、お春さま、おかわいそうに。あいつら、本当はさむらいでもないくせに。そんな声が聞こえてくる。
 しかし主人は「どうか、ご容赦頂けませんか」と巌勝に頭を下げる。
 そんな主人に、巌勝は一瞥もくれなかった。巌勝はただ、喜助を見ていたのだ。青い顔をした喜助は小さな声で「お助けを」と命乞いをした。

 その瞬間であった。
 眼の前に月が見えた。
 それと同時にゴトンと喜助の首が落ちた。

 使用人たちは悲鳴を上げ、しかし逃げずに成り行きを見守り、主人は腰を抜かして地べたに座り込んでしまっていた。
 その主人に向かって巌勝は言った。
「そなたが謝ることではない。この者の首で手打ちとしてほしい」
かわいそうな主人はこくこくと首を振るばかりだった。

 呆然としてしまったのは弥兵衛ら鬼狩りである。喜助の所業は恥ずべきものである。しかし、まさか有無を言わさずに――しかも巌勝の手によって――仲間が首を撥ねられるとは思ってもみなかった。
「み、巌勝さま…」
巌勝に心酔していた鬼狩りの一人が声を掛ける。その声は酷く哀れっぽい縋るような声だ。巌勝は平生と同じ気難しげな顔を男に向けた。そして言ったのだ。
「これを始末しておいてくれ」
「……は?」
男が聞き返す。
「野にでも捨てておけば良い。……嫁入り前の娘に手を出すような不届き者は要らぬ」

 その時の、この男の顔ときたら!
 罠にかかる鬼を見る目と同じ目で、同じ顔で、仲間だった男を、己が斬り殺した男を見るのだ。

 ああ、そうか、とその時に弥兵衛は気付いた。
 この男は思うままに人を操り、そして虫けらのように捨てる。人を人とも思っちゃいない。人も鬼も同じなのだ。
 己にとって“要る”か“要らぬ”か、それだけなのだ。


「巌勝殿は、清廉なお方なのだな」
巌勝に心酔していた男は弥兵衛に言った。
「馬鹿言うンじゃねえ。残酷なヤツだよ」
「でも、喜助は嫁入り前の女に手を出したんだぜ。嫁さんにしてやれるわけでもねぇのに」
「だからってすぐに斬り殺すことはねぇだろ」
「そりゃそうだが。あのままじゃ、あの娘…お春さんはキズモノにされたうえに父親から“淫乱娘”と言われたようなモンだろう。あんまり憐れじゃあねえか。巌勝は人の道に従ったんだ」
 男の言葉に弥兵衛はケッと舌を出した。何が人の道だ。そんなお綺麗な理由じゃねえに決まっている。だがきっと、巌勝は仲間殺しの咎を受けることはないのだろう。こうやってやつを庇う者は多いのだと弥兵衛は思った。

 そしてその通りとなった。
 巌勝の喜助殺しはたいして咎められなかった。むしろ娘の誇りを守ったと称えられた。
「私はあの者の振る舞いがどうにも耐え難かったのです。しかし、私の振る舞いは軽率であったでしょう。侍として切腹させるべきでした」
巌勝はそう言ったという。馬鹿馬鹿しい。弥兵衛は思った。

 結局、巌勝は武士だったのだ。侍だったのだ。
 やつらは人を人とも思わない生き物である。忠義と唱えた口で主を裏切り、権謀術数を巡らせ手を血で染める。そして下らない名誉のために腹を斬り、斬らせるのだ。


「あいつは侍だったから、鬼に寝返った。御屋形様の首を持って消えた。
 みぃんな、やつを立派な侍だと褒めそやしたが、どうだ? 侍ってやつはこういうやつらなんだよ」
弥兵衛が話し終えると、話を聞いていた者たちは一様に黙りこくる。
 やがて、一人がポツリと言った。
「所詮、あいつは俺らとは違ったんだ。仲間だと思ってたのは俺らだけで、あいつは鬼狩りなんかじゃなく、侍だった。
 そして侍が鬼になっちまった。それだけの話さ」

 男たちは互いに顔を見合わせる。
 誰も何も言わなかった。