孵化
自室に戻ると「あにうえ」と、子供特有の鈴のなるような声で呼ばれる。ついで、ドン、と腹にぶつかられた衝撃。
「兄上。おかえりなさいませ」
そう言ってうっとりと微笑むのは幼い頃の縁壱――によく似た生き物だった。
巌勝は黙って頭を撫でてやる。縁壱は嬉しそうに目を細めスリスリと頬擦りをして「兄上」と甘ったれた声を出す。巌勝は彼の求めるまま彼をひょいと抱き上げるとか「ただいま」と囁く。そして彼に口づけをした。
努めてくちゅくちゅという水音を聞かぬようにするが、幼い手が悪戯に巌勝の耳を塞ぐ。小さな指が耳の穴を擽り、そのむず痒い感触に巌勝はふるりと震えた。
「ン……はっ……ぁ……」
思わず漏れる己の声がいやに熱っぽく、いやらしいのが耐え難い。まるで縁壱に抱かれる時のようで屈辱すら感じられるのだ。
やがて腕の中の幼子はコクコクと巌勝の唾液を飲み込むと「もっと欲しいです」と眉を下げて強請る。
「ああ……わかった。分かったから」
巌勝はぼうとした頭で座り込むと「ん」と身を差し出した。縁壱は嬉しそうに頬を染めて巌勝の着物に手を掛ける。胸をはだけさせるとツンと上を向いた乳首が現れる。巌勝は下唇を噛んで目をそらすが、それを咎めるように「兄上」と再び声をかけられた。
「兄上、いい?」
それは許可を求める言葉ではない。巌勝は縁壱の緑色の瞳を見ながらコクリと頷いた。
満足気にそれを見た縁壱は巌勝の乳頭をくわえてちゅうちゅうと吸いはじめる。巌勝は下唇を噛んで声を殺した。
遡ること数週間。
巌勝が「それ」が産まれた瞬間を見たのは縁壱の屋敷であった。
縁壱は頻繁に巌勝を己の屋敷に連れ込んで抱く。兄上、兄上、お許しくださいと言って抱く。欲の発散にしては難儀な性癖だと巌勝は思っていた。しかしあの弟が、と思うと仄暗い喜びが腹の奥からぐるぐると湧き上がる。だから身体を許していた。
しかし、ある日を境に縁壱は巌勝の屋敷で彼を抱こうとし始めた。そればかりか外で欲をぶつけようとさえする。そして彼自身の屋敷に人を入れようとしなくなった。
どうにも様子がおかしいと縁壱の屋敷まで出向き問い詰めると「卵がある」のだと言い出した。
巌勝が「卵?」と怪訝な顔をすると縁壱は観念したように彼の手を引き薄暗い部屋へと連れて行く。
「っ、これは……」
「生きております」
そこにあったのは大きな大きな卵であった。
縁壱が両手で抱えようとしても抱えきれぬであろうほどの大きな卵。
「……以前討ち取りました鬼が最期に私に術をかけ……そしてこの卵を遺して砂になりました」
縁壱は気まずそうに目をそらしながらボソボソと言う。
「割ってしまおうとも思いました。しかし――しかし、中に命があると感じてしまい……持ち帰ってみたところ、日に日に大きくなり……中から命の胎動を感じるのです」
目を見開き言葉を紡ぐことすらできない巌勝は、卵をまじまじと見つめ、手をのばした。なぜだかその卵を割ろうという気にはならなかった。不気味だとも思わなかった。
そして巌勝が触れたその瞬間、パキパキという細かな音を立てて罅が入る。
孵化だ。
咄嗟に刀を構える二人であったが、大きな卵から産まれたそれを見て、不覚にも巌勝は刀を落とす。
それは幼少期の縁壱の形をしていたからだ。
それからその生き物を育てているのは縁壱ではなく巌勝である。それは巌勝を見て「あにうえ」と鳴き、甘えたからだ。縁壱は己の形をとったそれを斬ろうとしたが巌勝が止めた。
もしも鬼であり人を食らう素振りを見せたなら責任をとって己がこれを斬る、と約束をした。しかし今の所、この生き物が人を食らう気配はない。しかし当然、人間でもない。
「はっ………あ、あぅ……よりいち……」
巌勝は乳首に走るピリリとした刺激に思わず声を上げる。歯で強く噛まれたのだ。
「集中して。兄上、今はおれといるのですから」
「すまない……」
涙を浮かべて謝る巌勝のその涙を舌ですくう縁壱は、再びちゅうと乳頭を口に含む。
この緑色の瞳の縁壱は巌勝を食べる。
唾液や汗を舐める。幼い子どもの男根を巌勝の秘所にくわえさせ、快楽を与え、巌勝が吐き出した精を飲む。そのうち巌勝の胸からは乳が出るようになった。それを縁壱が飲む。
自分の身体が作り変えられている気がしてならない。
それが恐ろしいと思えないのが恐ろしい。
「んっ、んっ、ひ、ひ、いっ、あ、あ゛っ」
乳を吸う縁壱がぐりぐりと巌勝の股ぐらを足で刺激し、声が抑えられなくなる。思わず縁壱の頭を掴むと乳首を舌でくりくりと玩ばれ、快楽でめまいがした。
身体が熱い。熱くてたまらない。
やがて巌勝は大きく身体をはねさせて、くたりと脱力した。
「兄上」
縁壱が呼ぶ。緑色の瞳がらんらんと輝いている。
「お前は誰だ」
巌勝は問う。
「おれは縁壱です。あなたの縁壱から産まれました」
「鬼か?」
「いいえ。鬼から産まれましたが、確かに縁壱の一部です」
巌勝は「そうか」と答えて目を瞑る。幼子が身体をまさぐり、再び快楽に飲まれながら巌勝は思う。これを手放すことはきっとできない。縁壱の一部をこうして手中に収めることは、たとえ己の身体が作り変えられたとしても得難い充足感を巌勝に与えていた。
「今度は、俺と、縁壱と、兄上。三人で遊びましょう」
快楽の海の底に沈められながら、そんな声を聞いた。
「お前がしたいように」
巌勝はそう答えた。
縁壱の嬉しそうな笑い声に、巌勝もうすらと微笑んだ。