黒猫のタンゴ
千寿郎が中学校から帰宅すると兄の杏寿郎と、大学生である従兄弟の友人――継国縁壱が居間のこたつで蜜柑を食べていた。
「……ただいま戻りました。縁壱さん、いらっしゃい」
千寿郎が言うと、兄は「戻ったか!」と大きな声を出し縁壱もまた「おかえり」と言う。そして縁壱はこたつの上にちょこんと座る煉獄家の猫にむかって「兄上ぇ……兄上ぇ……」と呼びかけ始めた。煉獄家においてすっかり見慣れた光景である。
継国縁壱は変人だ。煉獄
家の誰もそう言わないが、少なくとも千寿郎は彼を変人にカテゴライズしている。だってそうだろう。ほぼ毎日友人の家に入り浸り、友人の家の猫を「兄上」と呼ぶのだ。
始めて猫を見たときの縁壱の姿を忘れられない。
縁壱は従兄弟の友人で、あまり千寿郎とは知人以上の関係はなかった。彼はおっとりとした人で、どこか浮世離れしていて、優しい人だが流されるままに生きているような、人形のような、そんな人だった。
そんな彼が、煉獄家の猫――黒猫の『クロ』を見つけた途端、くるくると躑躅色の瞳を動かしたのだ。みるみるうちに瞳に光が宿り、頬を赤く染め、そして言った。
「兄上。ここにいらしたのですね」
まるで恋する乙女の如き甘い響きを持ったその声は狂人のそれである。
それ以来、縁壱は黒猫に会いに頻繁に煉獄家へ訪れるようになったというわけだ。
―――悪い人ではないんだけどなぁ。
千寿郎は猫にちょっかいを出して爪を立てられ嬉しそうにする縁壱を呆れたように見た。そして「クロ、駄目でしょう」と猫を叱る。猫は千寿郎を恨みましく睨めつけた。
「いいんだ。千寿郎。兄上の照れ隠しに違いないから」
「でも……」
「ふふふ。昔も兄上はよく俺に爪を立てていたんだ」
うっとりと縁壱は語る。
「俺が、ぎゅって抱きしめると兄上は俺の背に腕をまわすんだ。そして爪を立てて………ふふ……『よりいち』って俺の名を呼ぶ。それが可愛らしくて……唇を噛んでしまうから、俺の肩を噛むように導いて差し上げると、今度は涙を流して嫌がるのだ。その様子も愛らしい。結局は俺の肩に歯型が残るほど噛んでくださるのだがな。翌朝それを見たときのに兄上のそのお顔が今でも忘れられぬ」
饒舌に縁壱は語るが、果たしてそれは中学生の千寿郎に語るにふさわしい内容なのだろうか。
「千寿郎に悪影響だ!」
杏寿郎が叫ぶ。縁壱はゆっくりと首を傾げていた。
今日も縁壱は変人だ。彼を変人と呼ばずに誰が変人だと言うのか。
千寿郎が猫へ目配せすると、猫も千寿郎に目配せをして、にゃあと鳴いた。