ラッキーこいこい
巌勝は葛藤していた。
目に入ったのは縁壱の耳だ。象牙色の耳。時折ピクリと動き音を拾おうとする耳。ふわふわとした獣の耳。
彼に抱き抱えられた瞬間こそ侮っているのかと抵抗したものの、ふと目に入った彼の耳に触れたくなった。気持ちよさそうだと思ったのだ。そしてその衝動のまま巌勝は三角形のふわふわした耳に手を伸ばしていた。彼らしくもない子供じみた行動だった。しかし触れる直前に巌勝は己のその行動に気付き手を止める。
慌てて縁壱の顔をうかがい、そして、バッと目を逸らした。縁壱は一見いつもと変わらぬ表情をしていたが、頬は紅く染められ口元は何かを堪えるように引き結ばれており、何よりも柘榴色の瞳が雄弁に『期待』を示していたからだ。
「………あ、」
しかし、左手が不自然に縁壱の耳へと伸ばされたままだったことに気付いた巌勝は思わず声を上げる。
「…………………?」
「いや、何でもない………」
「………そうですか」
「……………」
「……………………」
目をそらしていても縁壱からの視線が刺さる。顔に穴が開く。本気で巌勝は思った。顔がどんどん熱くなり、引っ込め忘れた手――引っ込めることも出来なくなった手が震える。
しゅるり。
巌勝の首が柔らかいものに包まれた。縁壱の尾――九つあるうちの一つが巌勝の首に巻きつけられたのだ。じんわりと首もとが温かくなってくる。
―――やわい。気持ちがいい。
―――触りたい。
しゅる、しゅる。首もとに巻かれた尾で肩から首を撫でられる。ふかふか。もふもふ。すべすべ。触りたい。きっと縁壱の頭上でふるふると震える耳も、触れたら気持ちがいいに決まっている。触りたい、触りたい、触りたい。巌勝の中でむくむくと欲求が膨れ上がった。その欲求が膨らむのに比例して巌勝の手が縁壱の耳へと吸い寄せられる。
ええいままよ。
巌勝は縁壱の耳に触れた。ふるるっと細かく震えた耳。もう一度慎重に触れると、ふわりと柔らかい。
「………お、おお……」
思った以上のさわり心地である。
縁壱の髪を撫でてみる。滑らかで柔らかい。耳を撫でてみる。ふかふかとしていて柔らかい。全く違う感触だ。髪も耳も心地がよい。
巌勝は夢中になって身を乗り出し肩に手をかけて縁壱の頭を撫で回していた。
だから気づかなかった。
「ぁ…あにうえ」
堪えるような震えた声にハッとして縁壱を見る。視界に広がる彼の顔――思った以上に近くにあった弟の顔は真っ赤になっていたのだ。
「おたわむれが過ぎます……」
巌勝は慌てて「すまない」と言って顔を離そうとするが、しゅるる、と縁壱の尾が巻き付き邪魔をする。そればかりかギュウと巌勝を抱きとめる腕の力が強くなった。
「縁壱?」
腕だけでなく、尾が絡まり、身動きが取れなくなる。
「あのようにきつねの耳を好き勝手にもてあそんで……あのような誘い方をされるのは、感心しません」
「さ、さそっ……何を言っている?!」
サアッと巌勝の顔から血の気が引いた。照れたようにもぞもぞと身じろぎする姿はいじましく、そして今の巌勝には恐ろしかった。明らかにこれは失態を犯してしまっている。
縁壱は逃げ場を探して視線を彷徨かせる巌勝の顎を掴み、目を合わせると、うっそりと笑った。
「兄上のご期待に添えますよう、精一杯、つとめさせていただきます」
慇懃な口調ではあるが、ぺろりと己の唇を舐めるその姿は捕食者のそれである。
巌勝は思わずふるりと身体を震わせた。
それが期待からくるものであるか、はたまた恐怖からくるものであるか。大変遺憾ながら彼自身どちらであるのかは明白なのであった。