NOVEL short(1000〜5000)

黒い夜には月が出る


 その隊士は士族の産まれだった。明治も二十年が過ぎていたものの、世が世なら『若様』と呼ばれていたはずの彼は父親からは侍とはかくあるべきと躾を受けて育っていた。それ故にか、鬼殺の道に入った彼は日輪刀を振るう時、これが最も正しい己の姿であったのではないかと密かに思っていた。
 彼に呼吸を教えた者は水の呼吸の遣い手であり、彼もまた水の呼吸を習得せんとした。しかしながら、あいにく彼の日輪刀は藤色に染まった。それは水の呼吸の不適性を示していたが彼は人並み以上の剣技を身に着けたのだ。彼には才能があった。
 それでも彼は歯がゆい。己はもっと高みにいけるはずなのだ。隊士は苦悩していた。

 それを救ったのは見知らぬ侍であった。
 墨を流したような真っ暗闇の空に金糸のような繊月だけが縫い付けられた夜だった。鬼から助けた男は和装姿で悠然とそこにいた。侍然とした出で立ちの男は後頭部で結い上げた長い黒髪をゆらめかせ、言った。
「……藤色の刀の………鬼狩りか」
「、え」
隊士が驚いていると、男は「懐かしい」と微笑んだ。
 聞けば男は元鬼狩りなのだという。他の隊士と衝突があり、今では鬼狩りを離れ日輪刀を持ってはいないのだが、その当時は彼の刀は藤色に変色したらしい。隊士が食い気味に何の呼吸を習得したのかを問うと、男は『月』の呼吸と答えた。
 月の呼吸。聞いたことのない呼吸だった。隊士たちの中には己独自の呼吸術と剣技を創り上げる者がいる。その者らは多くの場合、才能を持つ者たちだった。
 隊士は男に懇願した。跪いて、見知らぬ男にすがった。
「俺に、その呼吸を教えてください。俺はもっと強くなりたい……誰にも負けないぐらい…勝ち続けるために」
 風が吹いた。男の髪が揺らめく。男の頭上では月が輝いていた。
「いいだろう……。…………、……私と同じ色のお前が、どこまでやれるのか………見届けたくなった」


 隊士は男――巌勝と名乗る彼のもとで『月の呼吸』を学んだ。巌勝は隊士と同じ藤色の刀の持ち主であったため、やはり隊士は水の呼吸より月の呼吸の適性があったらしい。巌勝は月の出る夜のみ現れ隊士に稽古をつける。
 巌勝は彼に呼吸を教える代わりに「私のことは誰にも教えてはならない」と言い含めていた。曰く、鬼狩りから去った身であるから、ということだ。おそらく追放された身なのであろう。隊士同士の殺し合いはご法度であるのでそれが理由なのだろうか。隊士は時に血の気の多い巌勝を見ながら思った。
 それから三年が経った。三年間の内に隊士は巌勝のことを少しずつ知った。彼が隊士と同じで武士の生まれであること、刀を振るい剣技を高めることを好むこと。勝負事が好きで強敵を見ると血が騒ぐらしいこと。面倒見がよいこと。若く見えるが妻子がいたらしいこと。そして、双子の弟がいて、兄弟で鬼狩りであったこと。
「弟さんは今も鬼殺隊に?」と隊士が訊くと、巌勝は、ふ、と笑い、そっと左手を腹に当てた。彼は時折そのような仕草をする。
「随分と前に死んでしまったよ」
これは聞いてはならないことだったらしい。

 そうやって隊士が剣技を高めたある夜、巌勝は隊士をとある森へ連れてきた。そして巌勝は言った。
「この森には鬼がいる。…………血鬼術で分裂し…お前を襲うだろう」
その先は聞かずとも分かった。
「その鬼をすべて倒せばよいのですね」
巌勝はこくりと頷いた。
 隊士は月の呼吸を操り鬼どもを斬る。巌勝がそれを見ているので隊士もいつも以上の力を振り絞り刀を振った。
 最後の一匹の首を撥ね、巌勝を見る。巌勝は「ほう」と驚いたような声をあげ「ここまでお前が……やれるとは……」とつぶやく。
「俺はもっと……もっともっと強くなれます!」
隊士は巌勝に駆け寄る。そして戦いの興奮のまま言った。
「もっと強くなって、貴方に認められるような、誰にも負けない剣士になってみせます!」
すると、巌勝は嬉しそうに目を細める。それを見て隊士の心が踊った。
「その…心意気だ…………」
もし本当に兄がいたならば彼のような人だったら良かった。隊士は思った。それか、鬼殺隊に彼がいればよかったのに。そうすれば彼のもとで戦えた。それはとても素晴らしいことのように思えた。

 巌勝は、ふふふ、と笑う。そしてゆったりと刀に触れた。
 ――――刀?
「あれ、刀なんて持っていました………か……?」
月に雲がかかり、あたりは真っ暗になった。暗い夜だ。暗闇の中で血の匂いが隊士の鼻を刺激する。
 ――――おかしい。何かがおかしい。
「刀……刀………そうだな………今宵は私の刀を持っている」
雲が消え、月明かりが巌勝を――巌勝の真の姿をさらしだした。
 巌勝は笑っていた。とても楽しそうに笑い、目を見開いて隊士を見ていた。その目は六つ――赤と金の異形の目。左には『上弦』、右には『壱』を刻んでいる。

 上弦の壱。
 鬼舞辻無惨が創った『壱』番を冠する鬼。

「それでは…………私が稽古をつけてやろう」
彼の髪はうねり、夜風と遊んでいる。
「………三年、月の呼吸を教えた…………お前がどれほど強くなったか………見せてみよ。お前の強さによっては……あのお方に鬼にして頂こう………」

 巌勝が――鬼が、刀を操る。その姿は荒々しくて、禍々しくて、そして美しかった。隊士は思った。鬼になるよりも、彼に殺されたい。

 隊士が最期に見たのは月だった。真っ黒の夜に浮かぶ月だった。