「兄さん。帰ろう」
縁壱が図書室にいる巌勝に近寄って声をかける。本棚の前で立ち読みをしていた巌勝は縁壱を見て微笑んだ。
図書室の薄暗い本棚の影で巌勝の目が縁壱をとらえる。縁壱の心臓が飛び跳ねて、まるでお腹の奥で小鳥が一斉に羽ばたくようなざわざわとしたような心地になる。おまけに心臓はばくばくとうるさく、この音が巌勝に伝わってしまうんじゃないかと思うほどだ。
「今、準備するから待ってろ」
そう言って巌勝は本を戻す。ぱたぱたと荷物を取りに行く彼の後ろ姿を見ながら縁壱は熱く湿っぽいため息をついた。
双子の兄である巌勝は、縁壱の恋する人であり初恋の人だったからだ。
巌勝はとても綺麗な目を持っている。
友人からは「双子なんだから縁壱だって同じ目の色をしている」と言われるが、全く違う(と縁壱は思っている)。
彼の目は水飴のようにキラキラしていて、透明で、甘くて美味しそうなのだ。そして太陽の光の下で見ると赤っぽく、月の光の下で見るとほんのり紫色の光が混ざる。不思議な色の目。それが巌勝の目の色。図書室を染める夕焼けの色を見ながら縁壱はふわりと微笑んだ。巌勝がスクールバッグを持って「帰ろうか」と縁壱の手を取る。縁壱はその手をぎゅうと握って頬を赤く染めた。
ガタンゴトンと揺れる電車の中、二人は並んで座って帰路につく。彼らはクラスが別々であったので二人きりになるのは登下校時のみだ。
橙色に染まった空とビルを眺めながら縁壱の頭の中は巌勝のことで頭がいっぱいだった。恋する人が隣にいる。もっと近づきたい。手をつなぎたい。見つめてほしい。薄い唇はどんな味がするだろう。キスをしたい。キスをしてほしい。好きだと言いたい。そして、自分のことを好きだと言ってほしい。
遠くに見える雲のように膨らんでいく想いは、家についたらパチンパチンと弾けさせなければならない。でなければ、自分はいつか巌勝への恋煩いで死んでしまうに違いない。縁壱はそう思っていた。
「なあ」
「うひゃあ!」
もんもんと考えていると突然巌勝から声をかけられる。情けない声をあげた縁壱に驚きすぎだと巌勝は笑い、縁壱の手を取った。そしてハンドクリームのチューブを取り出すと縁壱の手の甲に取って塗り始めた。
「にいさん……?」
「さっき、手が乾燥してると思って」
巌勝は丁寧にハンドクリームを塗った。両手で、優しく撫で回し、指の一本一本まで丁寧に、塗りこむのだ。
どきどきと縁壱の胸が高鳴る。眼の前の巌勝の目――その目を囲む長いまつげが震え、きらきらと輝いて見えた。
「はい。おしまい」
巌勝が言うので、縁壱は反対の手も差し出して「こっちもお願い」という。巌勝は仕方無いなぁと言いたげにしながら、反対の手も両手に取ってハンドクリームを塗り始めた。
ガタンゴトン、と電車が動く。
あと三駅。
あともうちょっと、この時間が続けばいいと、縁壱は巌勝の水飴のように甘そうな瞳を見ながら願った。