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恋の証明


 夜の森、闇の中でピカッと閃光が走る。縁壱は耳鳴りと目眩がおさまってから目を開けた。目の前には老婆の姿の鬼がぎょろりと目玉を動かしていた。鬼は「ヒヒヒッ」と笑って森の中に逃げていく。
 先程の閃光はこの鬼の放った血鬼術だろう。まともに光を浴びてしまった己は何らかの術に掛かってしまったということだろうか。縁壱は日輪刀を握りなおした。黒い刀が赫く染まる。
「おい」と背後にいる剣士が縁壱に声をかけた。
「術をかけられたか?」
首だけ動かして背後を見れば、長い髪を一括りにした背の高い剣士が顔を歪ませていた。
「あれは血鬼術だろう。無事か」
縁壱は首をかしげる。この男は誰だ。新しい弟子だろうか。覚えがない。しかし日輪刀を持っているといことは鬼狩りであることは確かだ。
「ああ。問題ない」
縁壱が言うと藤色の日輪刀を持ったその鬼狩りはコクリと頷く。だがすぐに苦々しく「しかし、目に見えぬ術にかけられた可能性もある」と言った。
「お前は私を庇ってあの鬼の光を浴びた。ならば尻拭いは私がする。お前はここで待っていろ」
縁壱は慌てて「それはできない」と言った。
「私が鬼を斬る」
「……なぜだ。私があの鬼に殺されると、心配か?」
男は怒っている。
「私が弱く見えるか」
「違う。そうではない」
そうではない。目の前の男の肉体は鍛え上げられており、鬼狩りの中でも実力者であることはひと目で分かった。この男は並の鬼に殺されるような男ではないだろう。
 しかし、縁壱はこの男を一人で行かせたくないと思った。自分の手で守らなければならぬと思うのだ。
 怒りをあらわにした男は縁壱に迫る。
「お前はいつもそうだ。私の任務に同行したと思えば私に実戦を積ませるでなく鬼を斬る。一体どういうつもりだ」
 縁壱はその男の目を見て息を呑んだ。バチバチと目の中に火花が散っている。その光が美しいと思った。胸がざわついた。
「……もう私は日柱邸を去る。お前の庇護下にいるのはうんざりだ」
「っ!」
男の目が憂いを帯びて縁壱から逸らされる。それが惜しくて、縁壱は男の顎を掴み向き直させた。
「私はお前を守りたい」
「、は?」
男は怪訝そうに縁壱を見る。
「私にお前を守らせてくれ」
そして縁壱は感情のままにするする言葉を紡いだ。
「側にいて欲しい。私の腕の中にいて欲しい。
 ……俺に安息がもたらされるのはお前を守ることが出来ている間なのだ」
言葉を紡ぎながら縁壱は自分の言葉に驚いていた。初めて会った男にこのようなことを言うなんて。ああ、間違いなく自分は血鬼術にかかっている。記憶を奪われたか。
――俺の中からこの人の記憶を奪ったのか。
縁壱の腹の奥がぐつぐつと煮えたぎる。
 しかしそれもすぐに霧散してしまった。
「な、な、な、な…、え、は???」
目の前の男の顔がみるみる赤く染まっていったのだ。
 口は鯉のようにはくはくと開けたり閉めたりしている。そして首から耳まで真っ赤だ。その姿に胸が高鳴る。
「……可愛い」
ボソリとつぶやくと、男が眉を吊り上げる。そんな顔も可愛い。
「よ、よ、よ縁壱、お前、やはり血鬼術に…!」
「ああ。お前の記憶を失ってしまったらしい」
男の顔がサッと鬼狩りの顔に変わる。
「…では、やはりお前はここにいなさい。私が鬼を仕留める」
不安と、心配と、それから怒りをのせた瞳はとても美しかった。
 そしてある考えが、縁壱の中に天啓のように降ってきた。
「しかし、記憶を奪われたとしても俺にはお前が俺の何なのか、分かっているぞ」
縁壱は男を安心させるように抱きしめた。不意打ちを食らったらしい男は「わっ!」と声をあげて「何をするのだ」と暴れる。それを押さえつけて縁壱は言った。
「お前は俺の妻なのだろう?」
ピタ、と男の動きが止まる。正解だったらしい。
 満足した縁壱は手のひらを男の背から腰へと優しく撫でた。
「俺は良き夫ではなかったのだな。だから俺の元を去るなど……」
耳元で囁くと男は「ぎゃあ!」と悲鳴をあげた。
「おおおおおお鬼を斬る! 血鬼術を解く! 話はそれからだ!」
「そうだな。夫婦の時間はあとでゆっくりと取ろう」
「やかましいわ!」
男が怒鳴った。そんな姿も可愛かった。


***


 巌勝は頭を抱えていた。
 数日前から縁壱が血鬼術にかかったままだ。本体の鬼の首は刎ねたので、術はじきに解けるだろう。だが、それまでが絶えられない。逃げ出したい。巌勝は大きなため息を吐くいた。

 巌勝は鬼狩りとなってから、弟である縁壱のもとで修行を積んでいた。すぐに呼吸法の基本は習得し、刀の色も変わった。藤色の刀は『縁起が良い』と褒めそやされたが、巌勝は縁壱と同じ黒が良かった。
 まだ呼吸と日輪刀の色変わりについては謎が多い。ただ、刀の色によって呼吸の――ひいては剣術の型の適正が分かると言われている。巌勝が求めるのは日の呼吸の剣である。しかし適正がないのなら己の剣を作り出さなくてはならぬだろう。
 巌勝は強くなりたかった。一刻も早く縁壱の強さに近づきたい。
 それなのに縁壱はどこか巌勝を実戦に出すのを恐れているようだ。縁壱は出来得る限り巌勝の任務に同行しようとしたうえに、巌勝よりも先に鬼を倒してしまう。勿論すべての任務に縁壱が同行することはないが、貴重な実戦の場を奪われるのは巌勝を苛立たせるには十分だった。

 そんな中で、縁壱は巌勝を庇って血鬼術を受けた。
 血鬼術にかかった縁壱は巌勝のことをすっかり忘れてしまったようだった。そればかりか、なぜだか彼は巌勝のことを『妻』だと思い込んでいるらしい。
 任務中に「日柱邸を出る」と言ったものの庇われた手前それも叶わず、巌勝は自分のことを妻だと思い込む縁壱とともに過ごす羽目になってしまったのだ。

 縁壱がとろんとした目線を送ってくることも、甘ったるい声で「巌勝」と名を呼ぶことも、常に側にいたがることも、やたらと触れたがることも、全てが耐え難い。

「血鬼術が解けて巌勝の記憶を取り戻しても、どうか同じ家に住んでほしい。夫婦なら共にいるべきだろう?」
「通い婚、というのは寂しい」
そんな事を口にされる度に「我々は双子の兄弟なのだ。それ以上でも以下でもない」と言い聞かせても「大丈夫だ。表向きはただの兄弟。その設定は忘れずにいる」と微笑まれてしまう。ついでに頬に接吻を落とされ、巌勝は悲鳴を上げた。挙げ句に夜になれば当然のように目合をしようとしてくるのだ。
 恥をしのんでお館様に相談したところ、似た事例では時間が解決してくれたらしい。もっともお館様は「巌勝は少し大変かもしれないけど、我々の悲願の達成の妨げにはならないね」と笑っていたが。
 鬼の術というのは不可逆的なものではないらしい。少なくとも生きている場合は。
 巌勝はただただ血鬼術が解けるまで耐え続けるしかないのかと思うと背筋が凍った。

 そうこうしている間に任務から五日ばかりが経った。五日も経つとこの縁壱を受け入れなくてはならないのだろうかと焦りが生まれる。
 しかし同時にこうも思った。自分たちが双子の兄弟であることを忘れてしまっているのであれば、兄弟であることを止めてしまおう。縁壱の兄であることを止めることが出来たら、人生は少しマシになるんじゃないか。そうだ、それが良い。

 その晩、巌勝は縁壱の部屋を訪ねた。
「巌勝から訪ねてくれたのか」
破顔する縁壱を座らせて告げる。
「お前が言うように、私はお前と……夫婦、に、なってやろう」
縁壱は目を見開き驚いているようだった。しかし喜色を隠さずに「巌勝」と手を握り微笑む。そして優しく抱き寄せた。
「いいのか」と縁壱は確認する。
「ああ。腹をくくった」と巌勝は拳を握った。
 縁壱は巌勝をじっと見つめ、それからそっと押し倒した。ちゅ、ちゅ、と唇が顔中に落とされる。手のひらが巌勝の体の上を這い、愛撫した。巌勝の心臓がドクドクとやかましく鳴る。

「怖いか?」
縁壱が耳元で囁く。
「怖い」
巌勝は言った。
「怖くてたまらない。だが、お前の願いを叶えようと思う。
 その代わり、一つ約束してくれ」
縁壱は首を傾げ「何?」と訊く。
「今から私とお前は赤の他人だ。兄弟の縁を切って欲しい」
「……なぜだ?」
「夫婦であることと兄弟であることは共に成り立つことはない」
巌勝が言うと、縁壱はきょとんとしたような顔で「なぜ?」と繰り返す。そして巌勝の身体をうつ伏せにさせ腕を押さえ込んだ。
「何をする!」
苦しさに顔を歪めた巌勝が肩越しに睨みつける。しかし縁壱はそんなことなど気にもとめずに「だって」と呟いた。
「巌勝は弟の俺を愛しているのなら、俺は弟でありたい」
「あいして……など……」
巌勝の目が泳ぐ。縁壱はちゅ、ちゅ、と唇を頬に落とし、それから耳をカプリと噛んだ。
「恥ずかしがらずとも良い。………あにうえ」
「っ、私は、お前の兄をやめる」
「それは許さない。お前は俺の妻で、兄だ」
 しゅる、と衣擦れの音が響く。巌勝の着物を脱がせながら、縁壱は「兄上」と甘い声を吹き込んだ。ぶるりと身を震わせた巌勝の口から「あ、」と息が漏れる。それが合図となり、二人の身体が重なった。


***


 ぐちゅぐちゅという水音。
 肌を打つ乾いた音。
 快感を示す甘い声。息遣い。
 どれ程の時間が経っただろう。空は白み始めていた。
 うつ伏せになって腰だけを持ち上げられた巌勝は、はじめこそ抵抗を見せたが今では艶かしく腰を揺らめかせるばかりだ。縁壱はそんな巌勝の姿をじっとりと見ながらペロリと自分の唇を湿らせる。汗まみれの巌勝の腰を掴み直し、強く腰を打ち付けた。嬌声とともに弓なりに背がしなる。
「具合が良さそうで、俺も嬉しい。……あにうえ」
縁壱が『兄上』と呼んだその瞬間に内壁がきゅんと反応する。それにくつくつと笑った。
「ぐあいなど、良くない……っ!」
「なら、もっと精進せねばならないな」
ふう、と息をついてから縁壱はニコリとほほえむ。巌勝は怯えたような顔を一瞬だけ見せて、それから気丈にも縁壱を睨みつけた。
「………ああ、なんて可愛い」
「あ゛っ?! や、あああ!」
ぐちゅぐちゅと奥の壁を何度も叩かれた巌勝はぽろぽろと涙を流しながら快感に悶えている。縁壱はその姿を目に焼き付けながら、さらに奥をこじ開けるように腰を激しく動かした。
「だ、だめだ! よりいち!」
巌勝は口の端から唾液を垂らして叫ぶ。縁壱はその唾液を舐めとり「大丈夫だ」と囁く。そして遂にぐぽん、と奥をこじ開けた。
 巌勝の身体がビクンと大きく痙攣する。その瞬間に彼の身体――縁壱の性器を包む内壁が、精を搾り取るように蠢いた。
「あ゛っ…! かはっ」
「っ、は、ああ…」
二人はほぼ同時に果てる。縁壱は巌勝のこめかみに唇を落とした。

 心地よい気だるさの中、縁壱は言う。
「巌勝。俺は前も巌勝とこうやって愛し合っていたのだろう?」
「……していない」と巌勝はうつ伏せになったまま唸る。
「嘘つきだ」
ふふふ、と縁壱は笑った。そして巌勝の項をトントンと指で示す。
「今はないが、ここに、しるしがあった」
「――っ!!」
巌勝が急いで手で項を押さえ、肩越しに縁壱を睨みつける。
「アレは俺が付けたものだと分かった。……俺は巌勝に恋をしていた。そして、巌勝も俺を受け入れていた。違うか?」
「違う……違う違う!」
巌勝は違うと繰り返す。
「違うものか。俺には分かる。俺は何度だって巌勝に恋をする。記憶を失ったとて、何度だって」
それを聞いた巌勝は目を見開き、そして苦しそうな顔で言った。
「違うのだ……今のお前は血鬼術にかかっている。だからその感情はまやかしだ。そして――確かにお前は私に恋をしていると言った。しかしそれもまたまやかしだ。あたたかな家族を切に求めるお前は、唯一の肉親である私に恋をしていると錯覚してしまったのだ」
縁壱は首を傾げる。
「錯覚ではない」
「錯覚だ……。錯覚なのだ」

 部屋に陽の光が差し込んだ。巌勝は「ああ、太陽が」と呟いた。
 その時、縁壱の身体がぐらりと傾き巌勝の上に倒れ込んだ。
「縁壱?!」
巌勝が驚き叫ぶと、ゆったりと縁壱は身体を起こす。そして巌勝の顔を見つめてから、ふっと微笑んだ。
「兄上……」
巌勝はひゅっ、と息を呑む。
「兄上が俺に身体を下すった夜――あの夜にも兄上は俺の恋は錯覚だ、と言った。その時も俺はあなたに告げたはずだ。俺は何度でもあなたに恋をする、と」
「お前……術が…」
「ええ。たった今、解けました」
縁壱は微笑んだ。
「兄上。兄弟の縁を切るなどと、あなたは悲しいことを仰る……俺は傷つきました。しかし、兄上との兄弟の絆を忘れた俺が悪いのです。兄上のお心を傷つけてしまったことでしょう。
 ああ、しかし、兄上。あなたはいつかの夜に言った。何度だって恋をするともしも証明できたなら、兄上は俺のものになる、と。
 俺は何度だって兄上に恋をする。この恋心は血鬼術や錯覚などではない。
 もう逃がしませぬ。兄上は俺のものだ」