夢見るように、恋するように
三日ほど前から縁壱はどこか様子がおかしかった。
躑躅色の瞳をとろんとさせ、頬はどこか紅潮させている。かと思えば空に浮かぶ白い月を見てはため息をつくのだ。その様子はまるで夢でも見ているか、そうでなければ恋でもしているかのようだった。
そんな彼の様子に弟子の剣士たちや使用人は皆顔を見合わせた。ある者は面白がり、ある者は気遣わしげに、主に一体何があったのかを噂する。任務先で血鬼術にかかってしまったのか? いや日柱に限ってありえない。では色恋沙汰に違いない。でも一体、誰に? 助けたおなごに一目惚れ、とは珍しくもない事である。だが日柱は人を探して彷徨う鬼を斬ったと言っていたぞ。では帰り道か。こんな日柱は見たことがない。いいや、あの時――兄君を助けた時も数日はこんなふうに夢うつつであった。では任務中に兄君に会ったのか? それならば兄君も共にいるはずではないか。
――――ああ、日柱は何故こんな顔をしているのだろう!
彼らの好奇心は膨れ上がり、遂に一人の年若いあどけなさの消えない少年の剣士が「この前の任務でなにかあったのですか? 最近の日柱は様子がおかしいと皆申しております」と縁壱に尋ねた。
慌てたのは他の弟子らである。慌てて「こら! 弥助! 無礼だろうが」と嗜めたが、当の本人は「だって気になるじゃないですか」とあっけらかんとしている。これだから最近の若いもんは、とこめかみを押さえた年上の剣士も「しかし、この者の申したことも事実です。何かあったのですか?」と縁壱に訊いた。
縁壱は虚をつかれたような顔で彼らを順番に見る。やがてゆっくりと顔を赤くさせ「恥ずかしいな」と呟いた。
「心配にはおよばない。ただ………」
「ただ?」
縁壱の瞳が夢見るようにとろけた。そしてくすりと笑う。
「やっぱり秘密だ」
三日ほど前の話だ。二つほど山を超えた先の森に鬼がいるという噂を聞いた縁壱は産屋敷に鴉を送り、直ぐさま山をかけた。鬼の討伐は早いほうが良い。そうすれば助かる命もあるだろうから。
鬼はすぐに見つかった。月光に照らされたそれは獣のようであった。鶏の頭を持った鬼の瞳からは理性はない。飢えた獣そのものであった。そうであるからして、縁壱はなるべく苦しまぬように一撃で頭を刎ねた。きっと己が死んだことすら気付いてはいまい。
灰となって消えゆく鬼の最後の一握を見送ると、ふと、粗末な家が見えた。小さくてささやかな家だ。手を伸ばせば愛する者に触れることのできる、己の腕の中に幸せを閉じ込めておけそうな、そんな家。
ふらりと縁壱はそこに近づいた。人の気配はない。廃屋となっているらしい。
ギイ、と音を立てて戸を開ける。突然の訪問者に鼠が音を立てて逃げていった。
「…………」
家の真ん中には人骨があった。朽ちかけた家をぐるりと見渡す。縁壱は目を細めた。決して豊かとは言えない暮らしだっただろう。
その骨に近づき覗き込んだ縁壱は、ハッとなった。人骨は二つ、几帳面なほどにキチンと並んでいた。身を寄せ合い、まっすぐの骨。ほぼ同じ体格の骨である。片方の骨は、もう片方の骨――手のひらを握るように腕を伸ばしていた。
思わず縁壱は鷲掴むように己の胸に手を当てた。ドキドキと心臓が喧しく音を立てる。
――ああ、ああ……彼らはなぜ死んだのだろう。このように身を寄せ合い、手をつなぎ、死ぬなんて。
――しかし………しかし、俺はこのように愛する人と……兄上と、並んで、手をつないで、死にたい。
縁壱はそう思った。
それはとてつもなく罪深い欲望に思われた。だが、彼らのように、ひっそりと、二人きりというのは、素晴らしい死に様に思えたのだ。
想像するだけで幸せな気持ちになる。
――ああ、そうか。これが恋するという気持ちなのか。
縁壱は今すぐ兄に会いたくなった。