「今度は、ちゃあんと俺を殺してくれよ」
酒に酔った巌勝はいつもこの言葉を口にする。それを聞く度に縁壱は鉛を飲み込んだような心地になるのだ。
その言葉は恍惚とした表情とともに紡がれた。巌勝はいつもはきりりとしているはずの目を潤ませ甘く囁く。例えばそれが愛の言葉であったなら、いいや、名前を呼ぶだけでも良いのだ、そうであったならどれほど幸せだっただろうか。しかし紡がれる言葉はまるで呪いである。
「今は二一世紀ですよ。あの頃とは違う」
「二一世紀だからといって、人が人を殺さなくなったわけではあるまいよ」
「俺が兄上を殺す道理がない」
「道理ならある。お前は俺を殺しそこねた。だから、今度はしくじらずに、殺さなくてはならぬのだよ」
ふふふ、と巌勝は笑う。そして甘えるように縁壱にしなだれかかった。すり、と手のひらを重ねられる。その指の熱さにどきりと心臓が跳ねた。
「ああ、でも……サヨナラの挨拶をして、それから殺してくれ。私もサヨナラの挨拶をして、首を撥ねてもらうから」
「……坂口安吾ですか」
「うん」
こくりと頷き、上目遣いに縁壱を見るさまは酷く幼く見えた。
「『好きなものは呪うか殺すか争うかしなければならない』。そう書いてあった。その通りだ」
巌勝は言った。
「私はお前が好きだよ。そして、お前も私のことが好きだろう。ならば、殺しておくれ。そして、お前だけが私が死んだことを知ってくれれば良い。この世界で、たった一人、お前だけ。そうすれば俺はすっかりお前のものになれる気がするから」
それは確かに愛の言葉であった。巌勝の本心であった。それが分かったから、縁壱の目からはぽろぽろと涙がこぼれた。嬉しいのか、それとも悲しいのかは縁壱自身にも分からなかった。