あろうことか、縁壱は「山桜が美しかったから」とのたまった。
「だから、なんだというのだ」
「山桜が美しかったから、より一層、兄上が愛おしくなりました」
「……わけの分からぬことを申すな」
巌勝は力なく項垂れた。
巌勝が鬼狩りとなって数年、痣を得てから数ヶ月。彼は縁壱とともに西国の山へと赴いていた。
その山で巌勝は縁壱に抱かれた。彼に抱かれることは初めてではない。しかしながら山の中での情事はことのほか巌勝の身体を疲弊させた。指一本動かすことすら億劫で歩くこともままならない。だというのに、彼を背負って歩く縁壱は心なしか浮足立っているではないか。巌勝は苦虫を噛み潰したような心地で弟に身を委ねていた。
旅人も多いこの山に現れる鬼を狩る。これが巌勝に与えられた任務であり、この任務での剣の腕によって巌勝は柱となる。縁壱は審査役というわけだ。
そうは言っても巌勝が柱となることは内々に決まっていることである。産屋敷から告げられたことだった。代々の柱はそうやって選定されてきたゆえに、形式上このように縁壱が同行することになったのだ、と。
「西国の山は、桜で有名だ。任務を終えたら休暇だと思って兄弟水入らずで物見遊山にでも行っておいで」
そう産屋敷はおどけたが、事実、その任務は物見遊山のようなものであった。
倒すべき鬼は巌勝の実力をもってすれば難なく退治できる程度。夜明け前に狩りを終え、朝日が昇れば二人肩を並べてのんびりと山桜を眺める余裕すらある。
果たしてその山の桜は美しかった。巌勝は珍しく、ほう、と息をつく。
「美しいな」
思わず漏れた巌勝の声に、縁壱も「ええ」と返した。
「兄上とこの景色を見ることができ、幸せにございます」
「大袈裟だな」
「大袈裟などではありませぬ。兄上と見るからこそ、より一層桜が美しい」
「ふふ…おかしなことを申すな。桜の美しさは変わらぬよ」
「いいえ、変わります」
それから縁壱は声を潜めた。
「俺は、兄上といると、世界がより一層美しく見える。その美しさに胸が締め付けられるような心地になる」
縁壱の声色は思いがけず真剣なものだった。
「……冗談もほどほどにしろ」
巌勝は縁壱から顔を背ける。弟がどんな顔をしているか見たくなかった――いや、見るのが恐ろしかった。
しかし、それを縁壱は許さない。
「冗談などと、そのように仰るのは残酷にございますよ」
縁壱はグンと巌勝の腕を引いて桜の木に押し付ける。
「い゛っ! 何をするのだ!」
背に走る鈍い痛みに顔を歪めた巌勝は、縁壱を見てハッとなった。彼の目にはありありと情欲の炎が燃えていた。それは情事の際にしか見せない炎。なぜ、今、その目をしている。巌勝の唇がわなないた。
縁壱は息さえも分かるほどに顔を近づける。
「……私が、いつ、触れて良いと言った」
巌勝は縁壱を睨みつける。しかしそれを気にせずに巌勝の右耳に縁壱の舌が這った。そしてぬちゅ、と音を立てて小さな穴に舌が挿入される。
「っ、」
巌勝は縁壱の舌から逃れようと身を捩らせるが、縁壱の腕の中に抱え込まれており逃げられない。顔を背けようとしても縁壱の右手が顎を掴みそれを許さない。
「ぐ……!」
縁壱の舌がより深く埋められ耳の中で蠢いている。肉厚の舌がズリズリと天井を擦られる感覚に、巌勝は歯を食いしばって耐えようとした。しかしそれだけでは終わらない。ゆっくりと舌が抜かれ、穴をぐるりと舌先でくすぐられたかと思うと、耳殻に歯を立てられ、熱い息を吹き込まれる。
ゾクゾクと巌勝の背が震え下腹に小さな火が灯る。縁壱によって育てられた火種がくすぶり始める。
「縁壱、やめ……ろ!」
縁壱は焦る巌勝の制止の言葉を聞き流し、たっぷりと唾液を絡ませた舌を再び狭い穴の中に挿入した。先程より、より強く舌を動かし、じゅぼっ、ぐぷっと音を立てて舌を出し入れし蹂躙する。
同時に顎を固定していた手が反対の耳に伸ばされた。耳たぶを揉まれ、耳殻をくすぐられ、カリカリと引っかかれる。そして耳の穴に指が挿し入れられ巌勝はギュッと目を瞑る。嫌な予感に巌勝は縁壱の腕の中でもがいた。しかしどんなにもがいても、縁壱はびくともしない。
「や、やめろ! 縁壱! ぬけ…抜け!」
縁壱は答えずに、ぴちゃぴちゃ、ぐちゅ、ぐぽっと水音を立てて耳を犯す。片耳を封じられたことで水音が反響する。それが巌勝の理性を溶かしてゆく。熱い舌がもたらす快感と、耳を犯される音で頭がおかしくなりそうだった。巌勝の目からぽろぽろと涙が零れる。
「ぅあ! や、やめっ! 〜〜っ、!」
縁壱が唇を窄め、じゅるるっと音を立てて耳を吸い出した。そしてその間、彼の左手の手のひらが腰を撫でながら親指で臍の下をトントンと優しく叩く。トントン、トントン、と一定の速度で叩かれ、やがてそれに呼応するように腹の奥、縁壱を受け入れているその場所がズクズクと疼き始めた。
「ひ、ぃ……より、いち! だめだ、それ、いやだ……!」
なりふり構っていられなくなった巌勝は縁壱から逃れようと何度も身を捩り手を掴むが、力の入らぬ抵抗に意味はない。爪を立てるのがせめてもの意思表示であるが、縁壱はくつくつと笑うばかりだ。
「いやいやばかりでは、寂しい」
縁壱が巌勝の足と足の間に体を挟み込ませ、更に二人は密着する。
「兄上は、ときどき、意地悪だ」
そう言って縁壱は上から下へ突き上げるように腰を動かした。
「ひっ、あっ、うっ、やっ…っ、!」
ゆさゆさと揺さぶられてる巌勝の口からたらりと唾液が垂れる。べろりとそれが舐め取られた。
――意地悪? なぜ?
――そんなことない。意地悪しない。だって俺は縁壱の兄さんだから。
「ぃじわるは、お前だ…!」
涙の膜のはった目で睨みつける。それを見た縁壱は目を細めた。
そして、ふう、と耳に息を吹きかけ甘く囁いた。
「兄上、我慢せずとも良いのです……この縁壱に、すべて委ねて。誰も見るものはおりませぬゆえ」
ガリ、と強く耳に歯が立てられる。
「ーーーーっ!」
巌勝はビクンっと体を大きく跳ねさせた。目の裏にバチバチと火花が散って、視界が一瞬、真っ白になる。
そしてくたりと体を弛緩させた。そんな巌勝を抱きとめた縁壱はくすりと笑う。
「兄上、ほんに愛らしゅうござりまする」
巌勝は縁壱のドロリとした視線を浴びて身を震わせた。
ザアと春の風が吹く。桜吹雪が舞う。
「兄上とて、俺のこの想いを冗談などと言うことは許せませぬ」
縁壱の言葉に巌勝は目を瞑った。
瞼に接吻を落とされる。シュルシュルという衣擦れの音。肌に感じるヒヤリとした風。
熱の奔流の予感に、巌勝は身を震わせた。
「俺はこれ程までに美しい桜を見たことがございませぬ」
巌勝を背負いながら縁壱が言った。
「世界はいつだって美しい。けれど、貴方が側にいると、そのことをより強く感じられるのです。貴方が側にいるから、世界が美しいと確信できる」
「…………」
「俺は桜を見るたびに貴方のことを懐い出すでしょう。美しい貴方の姿を――ねえ、兄上もそうであったら、俺はとても嬉しい」
「……おめでたいやつ」
巌勝は毒づいた。
――ああ、馬鹿者。これでは桜を見るたびに心がこの山に……今この時、お前との淫靡な触れ合いをしたこの吉野の山に……いや、お前のもとに、心が離れて向かってしまいそうだ。
――これではいつか、私はお前無しに世界を見ることが出来なくなってしまいそうで、恐ろしい。
――私は恐ろしいのだ。
ザア、と春の風が吹き桜吹雪が舞う。
山桜のざわめきがいつまでも、残響のように鳴り続けた。