NOVEL short(1000〜5000)

指先


 パチリと目が醒める。
 すぐ隣には巌勝がすうすうと穏やかな寝息を立てている。少々無茶をさせてしまったから、きっといつもより深い眠りについているのだ。
 縁壱は巌勝の顔にかかった髪を指先で払ってやる。すると、縁壱によく似た炎のような痣が現れた。


 巌勝は右の首筋と左上の額を炎のような痣で彩り帰還した。任務前にはなかったそれは、縁壱によく似た痣だった。
「こんなに早く痣をこさえるとは、さすが双子でいらっしゃるなあ!」
そう他の剣士から声をかけられた巌勝は目を細め、口の端だけちょっぴり上げて微笑を作る。
 そして「ますます精進致します」とだけ口にして黒髪を翻し去っていってしまった。縁壱はそんな兄を慌てて追いかけた。

「っ、兄上」
さっさと歩いてしまう声をかける。後ろ姿に手をのばし、それからその手を引っ込めた。
「……縁壱」
呼ばれた巌勝は縁壱を見て片眉を上げる。そして縁壱を見据えて「どうしたのだ」と小首を傾げた。

――痣が出たのですね、はもう沢山言われている。おめでとうございます、は何だか変だな。おそろいですね……恐れ多くて口にできない。

 縁壱ははくはくと金魚のように口を開いては閉じた。言葉が見つからない。
 どうしよう、と焦っていると不意に巌勝が近付いた。そして縁壱の痣をなぞり「おそろいだ」と微笑んだ。
 珍しいことだ、と縁壱はぱちぱち瞬きをした。巌勝は滅多に縁壱に触れ合わない。煉獄は「男兄弟などそんなものです」と言うが、出来る事なら触れ合いたい。何でもない瞬間に、隣で体温を感じたい。
 ちなみに、もっと深く淫らな触れ合いをしているのに今更だろう、と縁壱は思うのだがそれを言ったら口をきいてくれなくなったので言わないことにしている。

「兄上とおそろいというのは、おそれおおい事です」
「お前がそう思うのはおかしなことだな」
ふわふわと微笑む巌勝は浮かれている。彼を見ているとつられて心が浮ついた。

 巌勝の指先がするりと痣を撫でる。うっとりとした彼の顔に思わず俯いてしまう。じわりと顔に血が集まるのを自覚した。
「ほら、ここにも」
と巌勝は縁壱の手を取り己の首筋――痣に触れさせた。
 どくんどくんと心臓がやかましく音をたてる。指先が巌勝の首筋に貼り付いてしまったように動かせない。

「指先が冷たいな」
巌勝の手が縁壱の手に合わさる。指と指の間をするすると撫でられ、縁壱の心臓がますます騒がしくなった。
「擽ったい、です……」
小さな声は震えていた。

 巌勝が上目遣いに縁壱を見る。
「私に触れられるのは、嫌か?」
「…………兄上は意地が悪い」
 二人の指と指が絡まった。


 縁壱は兄の寝顔を眺めながら顔を赤らめる。
 巌勝はよほど浮かれていたのだろうか。いつになく優しく甘やかな目交いを求められた。
 結果として無茶をさせてしまったと思う。彼の体を慮ってもう終わりにしましょう、と訴えても、巌勝の指先は縁壱の体を擽り理性を剥がそうとした。そして縁壱はそれに負けた。記憶が正しければ兄が気を失った後も彼のことを求めてしまったはずだ。

 眠る巌勝の額をなぞる。己のそれによく似た痣だ。
 額から目元に指を滑らせると睫毛が震えた。慎重に、息を止めて、指を動かす。震える睫毛が指先を擽った。
 キィンと耳鳴りがする。
 慎重に、慎重に。大丈夫。兄上はまだ夢の中だ。

 ほんの少しだけ開いた唇を親指でゆっくり撫でる。カサついた唇だ。人差し指を口に差し込む。歯を爪で突いたら咥内に招き入れられた。
 熱く柔らかい粘膜が指先を包み込んだ。
 二本目の指を挿し入れ、舌をなぶる。ん、ん、という呻き声が漏れる。しかし巌勝は目覚めない。自分の荒い息遣いがうるさい。心臓もうるさい。
 かぽかぽ。くちくち。
 音が聞こえる。
 縁壱の口に唾液が溜まった。

「……お目覚めですか」
 指に走る痛みは縁壱を咎めるそれであるが、しかし甘噛みに違いなかった。
 見れば涙で潤んだ巌勝の瞳が縁壱を射抜いている。巌勝の眉がつりあがり、咥内の舌は縁壱の指を押し出してきた。その感触にビリビリと背に痺れが走る。
 
 名残惜しくも咥内から指を抜き、しげしげと眺め舐めしゃぶる。巌勝の「恥知らず」という呟きには「兄上のせいです」と答えた。

「兄上は――痣が出て、嬉しいですか」
縁壱は訊いた。
「ああ」
巌勝は答えた。

「ああ、ああ。嬉しいさ。……これで、もっと強くなれる」
「これ以上?」
「…………まだ、理想とは程遠い」
縁壱は巌勝の胸に頭を寄せて、胎児のように丸くなった。
「兄上は強くなって……鬼を、倒したいのですか……?」
幼い子どものように優しく指で髪を梳られる。
 そのまま、沈黙が続いた。そしてゆっくりと巌勝は口を開いた。
「なりたい自分に――なる為、だ」
縁壱はぐりぐりと頭をこすりつけた。

 そのままの兄上を愛している、なんて言えなかった。代わりに指と指を絡めて唇を寄せた。
「兄上ならば、きっと、必ず」
そう囁く。

 兄上ならばきっと必ず、兄上自身の価値に気づくはずです。誰しもが兄上の価値に気づくはずです。

 そんな風に祈りながら、ぎゅうと手を握った。