生きて恋して死ぬこと
縁壱は「仕方ないさ」「なんとかなるさ」「うまくいくさ」の精神で生きてきた男だった。
どんなについてない人生でも、それが人生なのだと大きな口を開けて“それ”をごくんと飲み込んだ。その苦味にしかめっ面をしたり泣きそうになったりしたけれど、それでも「それが人生だ」と生きてきた。
何故ならばどんなに辛くとも生は続いていくからだ。死ぬことはどうやら許されていないらしいと悟ったのは二十五を過ぎてからだった。
さて、縁壱の人生哲学は「なんとかなるさ」であった訳だが、実際のところ彼の人生は全くなんとかなっていなかった。なんとかなるポテンシャルを持っていながらみすみすその機会を逃し続けてしまっていたと言える。一方で彼のポテンシャル抜きでは「なんとかならない」どころの騒ぎではなかったのもまた事実である。
どうにかこうにか「なんとかしてきた」縁壱が、それでも自らの意思で「なんとかしたい」と思ったのは双子の兄への想いであった。
一方で兄の巌勝には弟の人生哲学がさっぱり理解できなかった。そもそも縁壱もその人生哲学を語るだけの言葉を有していなかったのである。故に両者の溝は海よりも深いものであった。
端的に言えば相性が悪いのである。そしてその相性の悪さに縁壱自身が気付いておらず、それどころか「我ら兄弟は二人で一つ」とすら思っていた。ちなみに巌勝が縁壱の“日”に対して“月”を名乗った事によりその勘違いは加速していた。
そもそも天涯孤独と思っていたところに兄が現れたこと、自分と対の存在としてくれたことは縁壱を有頂天にさせていた。
生きていればきっと上手くいく。なんとかなる。兄の存在はそう思わせるのに十分な存在であったのだ。
そうして有頂天だった縁壱は有頂天のまま兄に恋をした。
縁壱の恋は幼い頃の憧憬と家族への深い愛を混ぜて焦がして出来上がった情熱であり、若い彼は本能の示す欲求に抗うことをしなかった。つまりは兄を抱いた。
巌勝ははじめこそ抵抗していたものの、徐々に啜り泣き混じりに言うのだ。
「この兄の、畜生にも劣るこの卑しい感情を、どうか許してくれるな」
最初は言っている意味が分からなかった。しかし、要するに「兄弟同士なのに愛してしまった」ということを言っているのだと気付くと多幸感で一杯になった。
「兄上。あにうえ。好きです。すきなんです。あにうえは、やさしい。うつくしい。いとおしい。好き。好き。好き。愛しています。兄上がほしい」
何度も口にして腕の中に閉じ込めると、巌勝はボロボロと涙をこぼした。その涙は甘かった。
縁壱は幸せの絶頂の中で思った。やっぱり上手くいった。生きていればなんとかなる。それに、今のおれには兄上がついている。
縁壱はぼんやりとした男だったので、同じ想いを持っていたとしても彼ら兄弟が「なんとかなっていない」ことに気付けなかった。
肝心なところの勘違いに気付けなかったのだ。
上手くいかない。上手くいかない。
何ということだろう。
兄は鬼となった。縁壱には分からないことだらけだった。
上手くいかない。二十五で死ねなかった。生が続いてゆく。だから、なんとかなるさ、と、これが人生だ、と思うしかなかった。
そうして上手くいかない人生を飲み込んで腹に落とし込んで、放浪しながら鬼を倒して、人を助けて「なんとかなるさ」と慰めて、慰められて、気づけば八十の爺になっていた。
死期が近い。
兄に会いたい。会って倒さなければ。兄を「なんとかできる」のは己だけだ。
そして、他の誰か「なんとかされる」のではなく己の手で「なんとか」したかった。これは偉大なる愛である。
結局兄への情が邪魔をして首を斬れなかった。なんとかならなかった。
上手くいかない。
それでも死ぬ間際に思うのだ。
兄に恋をしたことに後悔はなかった。
縁壱はそうやって生きて、死んだ。