蝶の羽ばたき
縁壱と巌勝の二人には合図がある。
小指と小指とを絡ませ弄ばせる。巻きつけたり、すりすりと撫でたり、爪でつついたりしながら、やがて他の指も同じように絡める。
相手がそれを許したならば、顔と顔を近付ける。最初は控えめに、相手の様子をうかがう。
ぱちりと目が合う。目をそらすこともあれば、じっと見つめ合うこともある。
祈るように肩口に額をつけるのは巌勝だけであったが、甘えるように鼻先同士をすり合わせるせるのは縁壱だけだった。
そうして吐息さえも感じられる距離まで顔を近付けることも許されたならば、睫毛を触れさせ――その場所は、どこでも良い――またたきをする。
睫毛と睫毛を触れ合わせまたたきをすると、蝶が羽ばたくようなそんな感触がある。くすぐったいような、ざわざわと胸が騒々しくなるような、そんな不思議な感覚。
ふたりはお互いの熱のこもった吐息を感じ、身震いをする。
もう一度、またたきをする。
蝶が羽ばたく。
これがふたりの合図だった。
最初にそれをしたのは巌勝だった。
まだ五つばかりの時だったと思う。
とてとてと縁壱がぼんやりと座っている縁側にやってきた巌勝は、縁壱を見るなり肩を抱いて頬と頬とを合わせた。そして、ふふふ、と笑う。
思いがけない触れ合いに縁壱が硬直していると、
「今日は父上も、母上もいない」
と囁く。
母親は縁壱が顔を見せると喜ぶため、縁壱は日に一度は彼女のもとへ通っていた。しかしその日母親の姿は見えなかった。 どうしたら良いものか分からず途方に暮れていたところであった。知らず緊張していたらしく、縁壱はほう、と息をついた。
「父上が、母上を連れて氏神さまのところへ行くのだそうだ。だから、今日は二人で遊ぼう」
それからいたずらっぽく「こんなふうにしても、誰からも叱られない」と言ってぎゅ、と抱きしめる。まるで甘えているようだった。
縁壱はすりすりと触れ合う頬を動物のように擦りよせる。
その拍子に、巌勝の睫毛が縁壱の頬に触れた。蝶が戯れに頬をくすぐった時のようなくすぐったさだ。
縁壱の心臓が高鳴った。
それが蝶が羽ばたいた最初の記憶だ。
鬼狩りとして巌勝が縁壱と同じ時を過ごすようになって二年あまり経った。
巌勝を抱いた後、縁壱は甘えるように彼の胸に身体を預ける。身体を密着させ腰に腕を回す。巌勝は動くのすら億劫といったようなうめき声をあげながらも縁壱の頭を撫でてくれる。
甘えたいと思ったときに、この人は甘やかしてくれる。
戯れに巌勝の胸の尖りをペロリと舐める。ひくんと震える身体にむくむくと言葉にしがたい感情が湧き、ねっとりとそこを舐めあげてから前歯でこりこりと刺激する。ひっという悲鳴。舌先でその周りをくるくると舐め、ぢゅううと吸い付く。
「こら」
と叱られ、巌勝の顔を上目遣いに見た。
巌勝は顔を赤らめて「これ以上この兄を狂わせてくれるな」と小さな――とても小さな声で懇願する。
けぶるような長いまつ毛が震えるのを見ながら縁壱は歓喜した。
愛らしくてたまらない。俺しか知らない姿だぞ、と誰かに自慢したいような、誰の目にも触れさせてはならないと焦るような、そんな心地。
恋に浮かれた縁壱は言った。
「全ては運命だったようにも思われます」
双子に産まれた。巌勝という兄がいた。
巌勝が蝶の羽ばたきを教え、恋を知った。
恋を知って、兄のようになりたいと思った。剣を再び手にすることも兄を思えば尊いことかもしれないと思えた。
剣を握ると誰かを助けることができ、周りの剣士たちも強くなった。強くなればより多くの人が助かり剣士は死ななくなった。
鬼狩りは戦力を増し、協力者も増えた。協力者が増えたので多くの人を助けることが出来るようになった。
そして、また兄と巡り合った。
「………兄上が俺の兄上で、俺に蝶の羽ばたきを教えてくださったから、俺は兄上を助けることができました。
これを運命だと言うのだと煉獄殿から教えられました」
縁壱は夢見心地で兄の胸に顔を寄せる。そして、心臓の音を聞いて眠った。
この瞬間は、確かに縁壱は運命から祝福されていた。