刻む日輪
鬼舞辻一家が海外旅行するというので、秘書の黒死牟も追従した。
その仕事って本当に秘書の仕事なんすか?という獪岳の言葉にムッと眉をひそめる。実際、秘書というよりも執事のようだと言われたことは両手では足りないほどであったが、これもまた“鬼舞辻無惨の秘書”の義務であり主君からの信頼の証(主君は黒死牟のことを“ビジネスパートナー”と呼ぶことさえある)なのだ。
そのことを懇切丁寧に、くどくどと教えてやると獪岳は苦虫を噛み潰したような顔をしながら「分かりましたよぉ」と言っていた。最近この少年は少しだけ態度がでかい。
閑話休題。
兎にも角にも黒死牟は鬼舞辻一家と共にアメリカへと旅立った。
黒死牟はレストランの予約や車の手配に始まり様々な雑用に追われ忙しなく働く。それが苦ではない。むしろやる気に満ち満ちていた。
そうして数日を過ごしていたら、最終日の前の二日間だけ自由を与えられた。鬼舞辻夫人の「あなたも楽しみなさいな」という鶴の一声だった。
いざ休みを与えられるとどうすればよいのやら。
黒死牟はううむ、と唸る。“楽しみなさい”と言われたからには“楽しむ”ことが責務だろうか。ならば観光することが責務に違いない。
善は急げとばかりに黒死牟は観光地を効率的に周遊するプランを作成した。そして夫人の言いつけ通り“楽しんだ”ことの証拠写真とてして、夫人から与えられたセルカ棒で写真を撮る。
黒死牟は全力だった。
自由時間を全力で“楽しむ”黒死牟は、一日目の夕方に悦に入る。我ながら完璧なプランだった、と写真を見返していた。ちなみにどの写真に写る黒死牟も証明写真のような顔である。鬼舞辻夫人はそれを見るのが面白くて仕方がないため敢えて黒死牟に自由時間を与えたのだが、そのようなことは知る由もないことなのだった。
これからはナイトライフを楽しむ時間。そして明日は州外へと足を伸ばし……。
しかし、頭の中で予定を確認する黒死牟であったが、次の瞬間にその“完璧なプラン”は粉々に砕け散る。
「……兄上?」
「っ?! より…い、ち?」
何年も会っていなかった双子の弟にばったりと出くわしたのだ。
昔から双子の弟を見ると胃がムカムカしていた。原因は分からない。決して“仲の悪い兄弟”ではなかったから、余計に。
よく似た顔をした黒死牟の片割れはいつだって兄――巌勝のことを慕っていた。時折、兄上、などと芝居がかったような呼び方をする弟は潤んだ瞳で巌勝の事を見ては「兄さん、好きだよ」などと言う。その純粋な好意に嫌悪感を抱いていたのだろうか。
――――否、違う。そうではない。
そうではないが、弟が己を見て幸せそうにするのが、どうしても、苦しい。
この胃のむかつきに名前を与えることのできなかった巌勝は、弟と距離をとった。
弟は物分りの良い顔で微笑み「それでも、この縁壱は兄上のことをお守り致します」と口にして、頬にキスをした。
気味が悪かった。
そして今、その縁壱が目の前にいる。
「また会えると、思っておりました」
夢見るような瞳。巌勝は思わず俯き歯を食いしばる。
「嬉しい……。兄さんは?」
「……うん。私もだ」
「ふふ……そうだ。兄さん、おれの仕事場に来てほしいんだ」
縁壱に手をひかれるまま、巌勝は歩き出す。
やはり、この男からは逃げられない。なぜだかそんなことを思った。
縁壱の仕事場というのはタトゥースタジオだった。巌勝が驚いて目を見開くと、縁壱は「驚かれると思っていました」と愉快げに言う。
「……久しぶりだからな」
「ええ。本当に」
「…………なぜ、この仕事を?」
「ご縁がありましたゆえ」
「そうか……お前らしいな」
「ありがとうございます」
「…………」
「…………」
淡々とした会話だ。しかし、縁壱が熱っぽくこちらを見ているのは分かる。手持ち無沙汰な巌勝は、椅子に座りデザインカタログを意味もなくめくる。
すると、縁壱が背後からそっと巌勝の肩を抱き「寂しゅうございました」と囁いた。
「しかし、遠く離れていたとしても、こころはいつも側にあると……そう信じて精進して参りました」
「………そうか」
縁壱の熱っぽいため息が耳にかかる。ぴちゃ、と水音がなり、耳の裏に舌が這わされた。
巌勝は瞳を閉じる。それは、降伏の印であった。
例えるなら、火の上に立たされているような痛み。脂汗を滲ませながら、巌勝はうめき声を噛ませられたタオルに吸わせる。
縁壱は巌勝の足の裏にタトゥーを入れている。ワンポイントだから一日で終わる、足裏ならバレることもない。そう言ってなだめすかしたのだ。
巌勝にとって平生なら堪えられたであろう痛み。
縁壱から与えられる痛みであるから、余計に巌勝を苛めるのだ。
本当はここに刻みたい、と縁壱が触れたのは心臓、そして首。痛みをこらえながら、巌勝は思う。ああ、心臓と首なら、今度こそ、縁壱は私のことをころしてくれたはず――――。
馬鹿げた妄想だった。
施術が終わり、巌勝は鏡で足の裏を確認する。
そこには日輪が刻まれていた。
「太陽?」
「ええ。………日輪の御加護があるように、願いを込めました」
「お守り……ということか?」
「まあ、そんなところでしょうか」
「……ふふ。お前らしい」
巌勝は微笑む。己にはあまり似合わないソレに、なんだか愉快になった。
それに日輪を踏む、というのはなぜだか仄暗い愉悦を感じる。
「兄上。“日”は貴方に刻まれております。おれが、刻みました。―――“日”は貴方の側におります。
そのことを、ゆめゆめお忘れなきよう」
うっそりと微笑む縁壱は巌勝の足先にキスをした。
まるで、誓いをたてるような――誓いをたてさせるような、そんなキスだった。