Sunshine Carol
高台にある洋館に巌勝は住んでいた。
既に天に召されている両親が遺した洋館。アメリカン・ヴィクトリアン調の洋館は明治の時代に建てられ、戦後に移築されたのだという。
市街地からほど近い場所にあるが、いかんせん山登りのような急な坂道を歩き続けた先にある。それ故に寄り付く者はあまりいない。
その坂道を巌勝は葡萄酒と洋菓子を手に登る。ふぅ、と吐いた息は白い。その日は特に冷え込んでいた。
この寒さでは、あいつはきっとサンルームにいるに違いな。そう考え、知らず微笑みを浮かべる。そして再び坂道を登った。
玄関の扉を開けると、腰辺りにドンと飛びつくかたまりがあった。
「……おかえりないませ」
「ただいま」
ぐりぐりと額をこすりつける少年――縁壱だ。
縁壱は巌勝が紙袋を持っているのを見てぱっと顔を上げる。そして「クリスマスプレゼントですね」と頬を染めた。
「……葡萄酒と、焼き菓子だ」
「嬉しいです」
「しかし、誰もお前へのプレゼントだなんて言っていないが」
「違うのですか」
「どちらだと思う?」
「………」
「ははは。お子様に葡萄酒は早いからなぁ」
それを聞いた縁壱はすぅ、と目を細める。
さて、この継国巌勝という男であるが、彼は文筆家であった。小説やエッセイ、コラムなどをしたため、親の遺した資産を細々と使いながら暮らしている。
彼を知る人は巌勝のことを浮世離れした男だと言う。他人を寄せつけず月のように静謐とした美しさを持つ男だと、そう思われているのだ。そして、あのような洋館にたった一人で住んでいるのは人間嫌いだからだ、などとも言われていた。
彼はそれらの自身の噂のほとんど全てを承知していたが、否定も肯定もしない。ただ、作りものの笑みを浮かべ、瞳にからかいをにじませるのみだった。
しかし、一つだけ否定することがある。彼が一人で言葉を紡ぐのではなく、彼に言葉を紡がせる存在を仄めかすのだ。
「いいえ。私は一人で暮らしているのではないのですよ。……そうですね。とても……手のかかる生き物です。そしてこの世の生き物の中で最も美しい生き物……それと共に暮らしているのです」
瞳をとろけさせてそう言う。いったいその生き物とは【何】を指しているのか。それを知る者はいない。
誰か――女でも、男でも――を囲っているのではないかとスキャンダルを予想する者もいたが、期待したような『誰か』を見た者もいない。死んだ恋人がいるのだとか、地下室に監禁しているのだとか、好き勝手に言う者もいた。
そのどれもを巌勝は笑って聞くばかりだ。思わせぶりなその笑みに、人々はますます彼の未だ見ぬミューズに思いを馳せる。
しかしながら、実のところ、彼と共に暮らす生き物は金魚であった。
燃える炎のように真っ赤な金魚。
名前は継国縁壱。
巌勝の弟である。
閑話休題。
縁壱は不満をあらわにさせ、尾びれをひるがえし宙をまわる。
「兄上」
「うわっ………とっ………おい」
不機嫌そうな声を出す巌勝の前には大柄な青年が現れ彼の腰を抱き、瞳を覗き込んでいた。
「クリスマスプレゼントは、子どもしか貰えないと。兄上が仰ったから……」
「そんなこと言ったか?」
「忘れてしまったのですか」
「ううむ………言った気もするが、言っていない気もする」
「いいえ。あの日……ほら、満月の夜です。兄上が俺の上に跨って腰を……」
巌勝は慌てて縁壱の口を塞ぎ「知らん!」と叫ぶ。
「っひぃ?!」
そして慌てて手を離そうとする。縁壱が口を塞ぐ巌勝の手を舐め回したのだ。しかし縁壱は逃げようとする手を掴んでぱくりと口に含んだ。
手のひらと指のまたに舌を絡みつけられ、人差し指をぱくりと口に含まれる。かぷかぷと甘噛みされ、じゅうと吸われ、唇でしごかれ、巌勝は身体がぶるりと震えた。
ちゅぱ、と音を立てて指が開放されたころになると、巌勝は顔を真っ赤に染めて悔しそうに唇を噛みながらそっぽを向いてしまっている。
縁壱はふわりと微笑み「兄上からのクリスマスプレゼント、頂けますか?」と囁いた。
「……葡萄酒。買ってきた」
「うん。嬉しいです」
「…………でも、クリスマスプレゼントではない」
「………」
「その。今夜、港の方で……クリスマスマーケットが開かれているから」
「………ああ、毎年の…」
「俺は、行く予定だ」
ぶっきらぼうな巌勝の口調と、真っ赤な顔。
縁壱は笑いを堪えて「お供します」と返して、頬に唇を落とすのだった。