浴室の金魚
バスタブにぬるま湯をはった。そして服を着たままバスタブに体を浸からせる。
布が体にまとわりつく感覚。縁壱はその感覚に目を細め、大きく息を吸って頭のてっぺんまでその身を沈めて天井を見つめた。
窓から射し込む陽の光がキラキラと反射する水中。
ぷくぷくと浮かぶ小さな空気。
ゆらめく視界に縁壱の心が浮き立った。
すると、己を覗き込むように見下ろす影があった。縁壱がパチパチと瞬きすると目の前に真っ黒の美しい金魚があらわれ、こちらを見つめているではないか。
縁壱はばしゃんとぬるま湯から顔を出す。大きく息を吸おうと口を開けると、直ぐにその口は塞がれてしまった。
縁壱の美しい金魚が彼の唇を己の唇で塞いだのだ。
「ん……ぅむ、あにうえ」
ぴちゃぴちゃと唇を舐める金魚――巌勝の後頭部を支え縁壱はより深く舌をさしこむ。舌と舌を絡め、上顎を擽り、歯列をなぞる。
唇を離すと名残惜しげに巌勝の舌が縁壱の唇を追うので、ぢゅうと吸ってやった。ぴくんぴくんと跳ねる体に心臓が高鳴り、背に腕を回してより体を密着させる。
ぱしゃんという水音が鼓膜を震えさせた。それを合図に今度こそ唇を離す。唇を繋ぐ銀糸がゆっくりと弧を描きぷつんと切れた。
「何をしていた?」
巌勝が訊く。
「……兄上のように、なりたくて」
「つまり?」
「その……金魚になりたくて」
「水の中に入ってみた――というわけか」
縁壱は頬を赤らめて頷く。
巌勝は眉を下げてため息をつくと、縁壱の頬に張り付いた髪を耳にかけてやって「お前は、まったく」と呟いた。
「人はもろい」
「はい」
「気が狂ったのかと思った」
「……申し訳ありません」
縁壱が謝り、巌勝は「うむ」と頷き首に腕を回した。
「知っているか」と巌勝は歌うように囁く。
「むかし、海の向こうの国で、皇帝が女達に赤い着物を着せて金魚とともに泳がせた」
「…存じております。随分な趣味ですよね」
「お前はそういうのが好きだと思っていたがな」
巌勝はコツンと額と額を合わせた。
「よいか。このように金魚は人になれるが、人は金魚にはなれぬ」
「……はい」
「解ったのなら、よろしい」
ぱちゃん。水音がなる。
「兄上」
「ん?」
「あなたのようになりたいのです」
「……酔狂」
「同じでありたい」
「考えを改めるべきだ」
「寂しいのです」
「………」
「あなたが好きです」
「………卑怯だ」
「キスをしても良いですか」
「勝手にしろ」
ぱちゃ。
ぴちゃん。ぱちゃん。
くちゅ。ぴちゃ。ぴちゃ。
ばしゃん。くちゅ。
一人と一尾はバスタブの水をはねさせながら、キスをした。