melt
生まれ変わった巌勝は、少々意地悪だった。
部活を終え帰ってきた巌勝は居間のソファでテレビを見ていた縁壱に、ただいま、と言って後ろから腕を伸ばして顎を掴み上を向かせる。そして額に唇をおとしてにこりと笑った。あまりに完璧な笑みに、縁壱は顔を真っ赤に染めながらも、これは何か企んでいるな、と思った。
巌勝は時折、縁壱に意地悪をする。そして偽悪的に笑って見せて「嫌いになっただろ」などと言うのだ。きっと、嫌いになってほしいと思っている。そして同時に「嫌いになんてならないよ」と言ってほしいとも思っているのだろう。
まったくもって面倒で可愛らしくて憎らしい兄である。今すぐ抱き潰して、泣いて謝るまで、この弟のちょっと重たくて厄介な恋を知らしめてやろうか、ああ、だって貴方は酷くされるのが好みだろう、その態度はそうとしか思えない。
齢十六の身体に何百という年月の記憶を詰め込んだ巌勝は随分と子供っぽいと、同じく齢十六の身体に八十年ばかりの年月の記憶を詰めた縁壱は思う。
閑話休題。
部活から帰った巌勝は縁壱の額にキスをすると、彼の隣に座って学生カバンを漁る。そして「あ」と自らの口を開けて弟の口をトンと叩いた。反射的に同じようにぱかりと開いてしまった縁壱の口にポイとちいさな物を投げ入れニヤリと笑う。
縁壱はといえば、口の中に広がる甘みとほろ苦さに目を白黒させた。生チョコだった。
「今日はバレンタインだろ」と巌勝。コクコクと頷く縁壱に「美味しいだろう? “前”の時は食べることが叶わなかった代物だ……特別好みはしなかったのだがな、バレンタインだからな」と満足げだ。
「美味しいです」
「お前の口に合って良かった。ほら、もう一つ」
縁壱はぱかりと口を開けて待つ。まるで巣の中の雛のように。巌勝も楽しそうに口の中にチョコを入れた。
そして「お前にやったこのチョコだが……喜べ」と言って、勿体ぶって言葉を区切った。
「これはな、本命チョコだ」
「! っ! 〜〜!! ッ!」
ふごっと縁壱が咽る。巌勝は優しく微笑みながら背を擦った。平生は前世ほどでないにしろ、あまり感情を顔に表わさない縁壱は頬を赤くさせて喜色をあらわにしていた。
巌勝はその様子を見てふふ、と優しく笑う。それから一転。ニヤリといたずらっぽい笑いを浮かべて「俺への、な」と加えた。
「………………」
「A組の高橋。お前の組だろ。彼女、俺と付き合いたいんだとさ」
「…………………………」
「なかなか見る目があると思わないか?」
「……………」
「世が世なら、私との婚姻はあの娘にとって玉の輿……というやつであろう? わざわざお前という男がいながら私を選ぶとは……ははは。これを見る目があると言わずしてなんと言う?」
縁壱の機嫌が急降下していくのを見ながら楽しそうに話す巌勝。
縁壱はムッとして、なおも口を開こうとする巌勝の後頭部を掴み引き寄せた。唇を合わせ舌を差し入れ、溶けてかけたチョコをなすりつけるように舌と舌とを絡めた。
巌勝は抵抗しない。それどころか、縁壱の首に腕を回してソファに押し倒した。
「甘い」
長いキスを終え、縁壱は言った。
興奮気味に頬を赤らめ己を押し倒している巌勝の背に腕を回して「兄上は?」と聞く。
「ん……甘い。が、思ったほどでもない」
「そうですか?」
「うん。甘くない」
「期待はずれ?」
「いや、これぐらいがいい。悪くない」
巌勝は高飛車に言って、それからスリ、と頬を寄せる。
「なあ、もう一度」
「もう一度、キスしてほしいのですか」
「うん」
「嫌だと言ったら?」
「嫌なのか?」
「いいえ……ただ、兄上が意地悪でしたので。おれも意地悪をしようかと」
「ふふふ。嫉妬するお前を見ると、とても、興奮する」
巌勝は笑った。
「じゃあ、嫉妬したかわいそうな俺に、ご褒美ください」
「うむ。何がほしい? 言ってみよ」
「もう一回、キスして」
「よかろう」
二人の身体が重なる。
口の中のチョコはもうなくなった。
縁壱は幸せだった。