忍夜恋曲者
生まれ変わったら兄上が姉上になっていた。
以前と変わらぬのは、後頭部で高く結い上げた手入れのされた黒髪。切れ長で涼やかな瞳。けぶる睫毛。意思の強そうな眉。小さな唇。
以前と違うのは、柔らかくふくらんだ乳房。一般的に見れば筋肉質ではあるが、やはりどこか細く曲線を描く体つき。鈴を転がすような声。そして、縁壱よりも低い目線。
巌勝は喉仏のない細いのどを震えさせながら「縁壱」と上目遣いに彼を呼ぶ。ぱちぱちと瞬きをする時の睫毛の動き。潤んだ瞳。きゅ、と引き結ばれた唇。
「縁壱?」ともう一度名を呼び、こてんと首を傾げるとサラリと動く髪。
それら全てが堪らないのだ。
縁壱は決まって、巌勝を抱きしめてキスをして好きだと叫びたくなる。ついでに、あわよくばセックスしたい。
かつて兄弟であった時分もそうだった。
兄が「縁壱」と喉仏を震えさせ、低く落ち着いた声で名を呼ぶ。伏せられた瞳。震える睫毛。小さな唇を開いて躊躇いがちに「縁壱」ともう一度。ゆっくりとこちらを見て、こてんと首を傾げる。
兄がそうする時には縁壱は決まって兄に抱きしめて貰いたくなって、あわよくばその小さな口を吸い、この身を捧げたくなったものだった。
そして実際のところ、兄とは頻繁に身体を重ねていた。ちなみに当時の兄は、兄弟同士でまぐわうなど、と言っていたが、生まれ変わった今なら分かる。兄はその背徳感に興奮していた。そういう性癖の男だった。
さて、生まれ変わった二人であるが、なんと実の姉弟であるにも関わらず二人は恋仲となった。いや、実の姉弟であることは縁壱にとってはなんの障壁にもならず、巌勝にとっては興奮材料にしかならなかったというのが正しいだろう。
兎にも角にも二人は自然とそういう仲になった。それは前世からの延長線――或いは前世のリベンジマッチとでも言うべきか。
初めてキスをした日のことを縁壱は今でもはっきりと覚えている。巌勝が上目遣いに縁壱の名を呼び「覚えているか」と訊いた。桜吹雪の中、中学校の入学式での事だった。まだ声変わりを迎えていないボーイソプラノで縁壱は「覚えております」と応えた。
「いつから?」
「今日」
「そうか。私もだ」
きゅ、と引き結ばれた巌勝の唇と、赤く染まったまろい頬。縁壱は忙しなく動く心臓を真新しい制服の上からおさえた。
「口を――」と縁壱は言った。
「その、口を――口吸いを。………き、キス、…キスを……」
「口吸いをしたいのか」
「………だめ、ですよね」
縁壱は「忘れてください」と俯いた。逃げ出したかった。
巌勝から「縁壱」と名を呼ばれ、有罪を言い渡される筈の罪人のような心地でのろのろと顔を上げる。
すると、ちゅっ、と、リップ音を立てて唇と唇とが重なり、離れた。眼の前には巌勝がいた。上目遣いにこちらを見る巌勝は怒ったような、それでいて泣き出しそうな顔をしていた。
縁壱は巌勝の両手を握り、ゆっくりと顔を近付けた。巌勝の唇は震えていた。いや、震えていたのは己の唇かもしれない。縁壱はそうも思った。
それから五年が経ち、縁壱の身長はぐんと伸びた。かつて程ではないが筋肉もついた。太い喉にあるのはでっぱった喉仏。それを震えさせると低い声が出る。
一方の巌勝も身長はぐんと伸びた。一七〇センチを越える長身にすらりと長い手足。筋肉質だが、しなやかな印象を与える。柔らかい乳房は大きく膨らんだ。
巌勝は美しい女性になった。「あの兄上が女性になると、このようになるのだな」と縁壱は頷く。あの頃と同じ美しさのままだった。
そして高校二年生の誕生日の夜。
巌勝が縁壱の部屋を訪れた。縁壱をベッドの上に座らせると、ちゅ、とキスをする。驚いて固まる縁壱を上目遣いに一瞥を送った彼女は再びキスをした。今度は舌を入れた、深いキス。
ひとつ屋根の下。巌勝の夜の訪問は初めてであった。縁壱はされるがまま、石のように固まって動けない。だって、いつだって抱きしめてキスをして、あわよくばセックスがしたいと思っている相手の、露骨な誘いだ。
いいのかな? いいのだろう。
だって兄上から仕掛けている。いいや、もしかして俺を試している? それなら意地が悪い。
ああ、でも、きっと、兄上だって、俺が欲しいのだ。
――柔らかい。腕も腰も、柔らかい。へんなきぶん。兄上ではないみたい。でも、確かに兄上だ。
唇が解放されて、巌勝は縁壱のワイシャツの肩のあたりを掴み、グッと引いた。まるで着物を剥ぐように。そういえば戦国の世でもそうやって誘っていたな。
そう思った瞬間にボタンが弾け飛んだ。コロコロと転がるボタンに巌勝は気まずげな顔をして「すまない」と言った。縁壱はそんな彼女を可愛いと思った。
「私が……縫ってやるから」
「兄上の御手を煩わせるわけには。俺が自分で直します。それに俺は裁縫は得意ですし」
ちなみに巌勝は裁縫が苦手だった。
縁壱は「それよりも」と巌勝の顔を覗き込む。
「……良い、のですか?」
早鐘を打つ心臓が煩い。
「………お前が、不憫で」
巌勝は言う。
「私の写真で抜いてるお前が……不憫で」
「………………………………」
何で知っているのか、とは聞けなかった。
「戦国の世なら、我々の年齢ならば、もう私は子を設けていた。時代が違うのは承知だ。だが…その……」
もじもじと言い募る巌勝。必死に考えた言い訳が口をついて出てこないのだろう。
「あなたは、良いのですか?」
縁壱は訊いた。巌勝は上目遣いに縁壱をじっと見つめ、こくりと頷き、縁壱の手を取り己の胸に押し付けた。
「お、お、お、大きさには……自信があるぞ!」
「大声出さないでください」
「む……すまない」
縁壱は深呼吸をしてキスをする。舌を絡めて唾液を啜る。手を服の下に潜り込ませ肌をなぞる。そして手のひらを這い登らせ下着を脱がそうと指を動かし弄る。手が震える。汗が吹きでる。
「……、ん、よりいち」
キスを逃れ巌勝が呼ぶ。
「自分で脱ぐから」
「…………申し訳ありません」
縁壱にはブラジャーの外し方が分からなかった。
「ふふ。分かるわけないよな。そうだろうとも」
自ら一糸まとわぬ姿になってゆく巌勝が笑った。
暗闇に浮かび上がる裸体。
淡く発光しているかのように白い。まるで幽鬼のようだ。
巌勝は縁壱のワイシャツを掴み脱がせていく。
すっかり裸にさせてしまうと、そっと縁壱の性器に手を這わせた。
そして言った。
「もし手慣れていたら、問い詰めて、場合によってはコレを切り落としていたかもしれぬな」
その目は笑っていなかった。
縁壱は己の顔から血の気が引き―――そのまま股間に血液が集まるのを感じた。
我ながら、厄介な人に恋をしてしまったものだ、と思いながら、縁壱は巌勝を抱きしめた。
「兄上こそ、俺の嫉妬心を見くびらないでくださいよ。
今度は別の男に靡いたりしたら許しません」
巌勝はニヤリと笑う。
「望むところだ」
それは甘い夜の始まりの合図だった。