余薫
鬼舞辻議員の秘書たる黒死牟改め継国巌勝が帰宅すると弟の縁壱がいた。とたとたと足音軽く玄関まで巌勝を出迎えると「おかえりなさいませ」と微笑み荷物とジャケットを預かる。
「夕飯になさいますか。それともお風呂になさいますか」
「……夕飯」
縁壱は「承知いたしました」とこたえてリビングに向かった。巌勝は、ふう、とため息を付き、首を回した。ばきばきと音のなる首は一日の疲れを彼に突きつける。
鼻腔をくすぐるのは縁壱が作っていた夕飯の香りに違いない。今日はきっとカレーだろう。
巌勝は靴を脱いで今度こそ家にあがった。
縁壱の来訪はいつだって急だった。
縁壱はフラリと巌勝の前に現れる。まるで何年も共にいたかのような顔で平然と巌勝の生活の中に紛れ込むのだ。そしてまたフラリと突然姿を消す。
何処にいて何をしているかは分からない。ただ、巌勝の前に現れる時の羽振りの良さから何らかの形で稼いでいることは確かなのだろう。縁壱のことだ。よもや後ろめたい仕事ではあるまい。
巌勝にとって縁壱は白昼夢か蜃気楼か、うたかたのような存在であった。
夕飯を食べ終え風呂に入る。
湯船に浸かると巌勝は足を伸ばして深呼吸をした。体格の良い彼の自宅の浴室は少しばかり広く作られている。それ故に彼のお気に入りの場所であった。
上を向いて目を閉じるとじわりじわり、疲れが湯に溶けてゆく。
その時、浴室の扉を開ける音がした。巌勝はそれを無視した。侵入者も何も言わない。
浴槽の隣でしゃがむ気配。侵入者に顔を覗き込まれているのを感じる。しかし巌勝はやはり無視をする。
ぽちゃ、という水音。湯が揺れるのを感じる。侵入者が腕を湯船に入れたのだろう。
侵入者の手が巌勝の性器に触れる。しかし巌勝は目を開くことはしない。
「は……ぁ、う」
竿をにぎにぎと握りこまれて思わずピクリと体が揺れる。
次いでゆっくりと上下に扱かれる。その動きに合わせて、ぱちゃ、ぱちゃ、と湯が波立ち音がする。
節くれ立った侵入者の大きな手。繊細に、しかし傲慢ささえ感じる手の動き。巌勝の性感は高まり、口からは荒い吐息が漏れ始める。
湯の中でさえその手が熱く感じられるのは錯覚か。
巌勝はもどかしさから足の指先にぎゅうと力を込め、快感を逃そうと腰をくねらせる。
ばちゃん、ぱちゃ、ぱちゃ。あ…ああ、あん……は…あ、あ、あ。ばちゃばちゃばちゃ。
侵入者の手の動きは徐々に激しさを増し、巌勝の口はだらしなく開かれ意味を為さぬ母音を発し続ける。浴室には己の乱れきった声と水音が反響している。浴槽の縁にしがみつき、両目をぎゅうときつく閉じ、巌勝は快楽に身を委ねた。
――――くる。来る、来る、来る!
やがて訪れるオーガズムの予感に巌勝の全身が強張り脚がピンと伸びる。浴室に響く声が大きくなる。
侵入者の指が亀頭をぐりぐりと刺激し巌勝は息を詰めた。ぎゅうと閉じられた瞼の裏にチカチカと火花が散る。
イく。そう思ったその瞬間、唇に熱いものが押し付けられた。腔内の唾液が啜られ、荒らされる。
―――口付けられた。縁壱に。
巌勝は縁壱に口付けられたまま頂点を迎えた。注ぎ込まれた唾液を飲み干すと、まるでそれを褒めるように竿が撫でられる。柔らかいそれも今の巌勝には刺激が強い。
「あ゛、ぁ、や゛っ、はぅ…」
苦しげな喘ぎ声。しかし縁壱の手は止まらない。指先でペニスが擽られ、口の周りはべろりと舐められ再び口付けられた。
きつく閉じられた目からは涙が伝う。それは過ぎた快感に耐えきれなくなった証。
やがて縁壱の指は袋を揉み込み、会陰を押す。ビクビクと身体全体が大袈裟なほど痙攣し、ばちゃんと湯が跳ねた。
口付けられたままの巌勝は息ができず、思わず片手を縁壱の背に回し爪を立てた。
意図が通じたのか、口は解放される。しかし、会陰を押す指は増やされ強制的に性感を引きずり出された。
再びばちゃばちゃと水音が鳴り、巌勝は堪らずもう片方の手も縁壱の背に回してしがみつく。
そして指はその後の窄まりをくるくるとなぞり始めた。性感の高まった身体は敏感に刺激を受け取り、ひくひくと収縮をする。新たな刺激に巌勝は無意識に背に爪を立ててしまっていた。
つぷ、と指が収縮をするそこに挿しいれられる。巌勝の口から感じ入ったような吐息が漏れ、背がしなる。二本の指が挿しこまれると、くぱりと広げられ、湯が入り込んだ。
熱い。熱い。全身が熱い。
ぼう、としてくる頭で巌勝は何も理解できなくなる。
気づけば指は増やされ奥まで挿れられていた。指をバラバラに動かされ、抉られ、掻き回される。
ばちゃばちゃと煩い水音と、己の喘ぎ声。
二度目の頂点を迎えた時、耳もとで聞こえた、ふ、という漏れ出たような笑いを巌勝は聞き逃さなかった。
背に回された腕は縁壱によって外され、はじめと元通りの体勢にされる。
浴室の扉の音。
気配が消える。
ようやく巌勝は目を開ける。
ぼやけた視界に歯噛みし「くそったれ」と悪態をついた。
翌朝、目を覚ますと縁壱の姿はなかった。
いつも通りの朝。巌勝はいつも通り身支度を整え簡単な朝食を取り、仕事に出る。
昨晩のことがまるで夢であったのかのようだ。いや、事実、あれは夢だったのかもしれない。疲れた身体が見せた淫夢。笑えない冗談のような悪夢。そうも思えた。
しかし玄関横のチェストに置かれた太陽の耳飾りが巌勝の逃げ場を奪う。それでも巌勝は仕事に遅れてしまうから、と言い訳をしていつものように仕事に出る。議員秘書としての職務を全うし、くたくたになるまで働いて、家に帰る。
そして玄関に置かれた耳飾りを前に立ち尽くした。巌勝は暫く立ち尽くし、やがてスマートフォンを取り出し電話をかける。
一コール。
ニコール。
三コール。
七を数えたところで、聞き慣れた声が巌勝の名を呼んだ。
巌勝はスマートフォンを握りしめ口を開く。
「お前、私の家に耳飾りを忘れているぞ。いつでもいいから取りに来い。
………ああ。いつでもいい。いつでも…。
うん。そうだ。いつでも来て構わない。私の家に…」
いつでも来て構わないから。私のところに来なさい。私のところに。
私のところに。
私のところに。
巌勝の頭に自分の言葉が何度も何度もこだました。