満月の魚
ベタという魚は美しい魚だった。
真っ黒で優雅な尾鰭を満月のように広げている。この水槽の主は己なのだと言っているようだと縁壱は思った。
大きく広い水槽に一匹で泳ぐその生き物は、どこか彼の兄のことを思い出させる。
「気になる?」
この魚の持ち主たる産屋敷が言う。
「とても美しいですから……」
「ふふふ。君が気にいったというのなら、君に水槽ごとあげてもいいよ」
その提案に心が浮き立つ。
しかし、ふと思う。
「彼はひとりで寂しくはないのでしょうか」
大きな水槽にぽつんと一尾。優雅であるが、寂しいと縁壱は思った。
「例えばこの隣の水槽の……赤い彼と一緒の水槽にすることは出来ませんか」
隣には黒いベタを見つめるように泳ぐ赤いベタのいる水槽があった。まるで赤い彼は恋い焦がれているようだ、と思った。
すると縁壱の言葉に産屋敷は目を丸くさせ、それからカラカラと笑う。
「この魚はね。同じ水槽では別の魚と生きることが出来ないんだ」
「なぜ?」
「好戦的なんだよ。別の魚と共にいると死ぬまで攻撃してしまうのさ。だから、コレは一人なんだ」
縁壱は目を細めてベタを見る。
無性に兄に会いたくなった。会って、抱きしめて、二度と離れないと誓ってほしいと思った。
しかしきっと兄はそれをしない。
否、誓ってくれるだろう。けれどそれを言う兄はきっと嘘を吐いている。己のために優しくて残酷な嘘を吐く。兄はそういう人だ。
縁壱は泣きたい気持ちになった。
赤い魚は相変わらず黒い魚に焦がれるように泳いでいた。