NOVEL short(1000〜5000)

いついつ出やる


 子供の頃の記憶だ。
 
 知っての通り、俺は三つ子の長男で、二人の弟がいる。小さい頃から三人ともよく似ていると言われたが、特に弟たちは瓜二つだった。まるで同じ人間が二人になってしまったかのように。小さい頃なんて――否、今も、俺以外は、両親すら弟二人を区別することが出来ない。
 
 小さい頃、弟二人はそろって俺に甘えていた。お兄ちゃんお兄ちゃんとついて回り、順番に世話を焼かれては嬉しそうに微笑むのだ。それ故に自然と俺も幼心に兄心とも呼ぶべきものが芽生えていた。
 ………同い年であったとしても、やはり俺は『兄』であいつらは『弟』というわけだ。
 
 
 それで、本題だが、小学二年生だった頃のことだ。
 日曜日の昼過ぎ、俺たちは近所の公園へ遊びに来ていた。ボール遊びをしてくたくたに疲れた夕方。弟二人は同じ顔をして口を揃え「鬼ごっこをしよう」と俺を誘った。「三人で鬼ごっこ?」と思ったんだが、弟たちが期待に目を輝かせているので「いいよ」と笑顔を作ったのを覚えている。
 いつだって『兄』は『弟』の言いなりってことだ。
 
 ……なんだ。その顔は。
 ……………。……ふん。続けるぞ。
 
「じゃあ、兄さんが鬼ね」と弟が言う。
「分かった」と答えると、もう一人の弟も言った。
「十まで数えたら、兄さんを捕まえに行くから」
「え? 俺が鬼なんだろう?」
 異議を唱えるけれど、しかし、弟たちはキョトンとした顔を作る。
「そうだよ」
「兄さんは鬼」
「だから俺が捕まえに行く」
「おかしなこと、ある?」
 あいつらは二人交互に言葉を紡いだ。
 
 二対の目に見つめられて俺は動揺した。そして衝動のまま弟たちに背を向けて走り逃げた。何かに突き動かされるみたいにな。
 
 いーち、にーい、さーん、と、背からは声が聞こえる。
 十を数える前に逃げなくては。逃げ切らなくては。そんな風に思った。
 俺は走った。訳もわからず、この衝動に名をつけることも出来ずに走った。
 ぎりりと歯を食いしばって。
 
 逃げ切る。今度こそ。振り返ってはいけない。あの時、俺は振り返ってしまった。そして弟の――幼き日の弟の姿を見たからおれは負けたのだ。負けとはすなわち己の姿を見ること。気づいてしまうこと。恥を知ること。もう懲り懲りなのだ。
 
 と、そこで、ふと、足を止めた。
 
 今度こそ、とは、いつの事だ?
 あの時、とは?
 恥を知る? 懲り懲り?
 俺は何を考えている?
 
 そんな思考の海に沈んでいると、すぐ背後から「兄さん!」と弟の声が聞こえた。
 強制的に現実へと引き上げられた俺が驚いて振り返ると、すぐ後ろに弟がいた。嬉しそうにニコニコと笑う弟は両手をこちらに伸ばしている。
 
 どうして。なんで。いくらなんでも早すぎる。
 ぞくりとしたものを感じ、思わず俺は仰け反った。弟の手を拒絶したのは初めてのことだった。
 
 わっ、と、驚いて仰け反った俺はたたらを踏みバランスを崩してしまった。ぐらりと身体が傾き、咄嗟に目を瞑った。
 しかし、予想していた地面に叩きつけられる衝撃は訪れず、代わりに背後から二本の腕が伸びて柔らかく受け止められた。両腕ごと抱きしめられ、背には覚えのある温もり。
 
 俺が振り返る前に頭上から声が降ってきたんだ。
「兄上。捕まえた」
 
 それは大人の男の声だった。
 ぞっとしたよ。
 悲鳴をあげそうになったが、その瞬間、前から弟が強く巌勝を抱きしめた。その衝撃で悲鳴が飲み込まれた。
「つかまえたっ!」
 弟はそう言って、頬を赤く染めて頬ずりをしてきた。
 
「ふふ。つかまえた。つかまえた」
 そう背後からも弟の声がした。首だけで後ろを向くともう一人の弟も同じようにうっとりとした顔で俺のことを抱きしめていたんだ。
 ……な? 変だろう?
 いつの間に後ろに来た? それに、さっきの声は?
 
 俺が思わずそう口にすると、弟は「声?」とキョトンとした顔をするんだ。
「――いや、なんでもない」
 先程の声は気の所為に違いない、と俺は言葉を飲み込む。
「…………二対一は、ずるいぞ」
 なんとか紡いだ言葉は酷く空虚に感じられた。
 
「うふふ。ごめんなさい」
「でも、一人では取り逃がす」
 弟たちは言った。
「そんなことは、ない」
 俺はそう答えた。しかし、なぜだか弟たちの顔を見ることが出来なかった。……恥を忍んで言うと、怖かった。
 
 弟二人は「さあ。帰ろう。俺たちの家に」と俺の手を引いた。
 
 そしたら、また声が聞こえた。
「もう離れませぬ。逃しませぬ」ってな。さっき聞こえた声と同じ声だ。
 きょろきょろと周りを伺う俺に、弟たちは「兄さん、変なの」と笑う。
「さっきから変な声がするんだ。聞こえないか?」
 俺は訊いたよ。そうしたら弟は首を傾げて言った。
「おばけ?」
「幽霊?」
「妖怪?」
「――――鬼?」
「……いや、そうじゃなくて……」
 言い淀む俺を、二人はぐいと腕を引いて、再びぎゅうと抱きしめた。
「大丈夫だよ」
「兄さんは俺が守ってあげるから」
「鬼はすべて倒します」
「二人いれば奪われることもあるまい」
「もう大丈夫」
「安心して俺のそばにいてくださいませ」
 
 その瞬間―――俺は両耳から吹き込まれる弟の言葉にくらりとめまいがした。
 ぐるぐると世界が回った。同じ顔が二つ、俺の顔を覗き込む。やけに弟の額の太陽みたいな痣が赤く見えた。
 
 そのまま俺は意識を失った。
 
 
 目が醒めると俺は自室のベッドに眠っていた。暫くぼうとしていたが、両脇に弟が眠っていることに気付いて跳ね起きた。それに驚いたのか、二人も起きて俺の顔を見るんだ。
 兄さんおはよう、なんて呑気に言うから、俺はふたりの顔を掴んでまじまじと見た。
 
 ……ああ。そうだ。俺の弟の額に痣なんてない・・・・・・・・・・・・
 二人は言った。「兄さんどうしたの」ってな。
 でも言葉が出なかった。やっぱりあいつらに痣なんてなかった。
 
「今日、公園で遊んだだろ?」
 俺は訊いた。
「うん」
 弟は答える。
「鬼ごっこしたよな?」
 更に訊く。
 そしたら、二人は顔を見合わせてクスクス笑うんだ。
 
 途端に、恥ずかしくなってしまってな。
 だってそうだろう。つまり、今までのは全部夢だったんだよ。
 そう思って俺は何でもないって誤魔化してまた眠りについた。
 
 
 ―――それで、だ。
 何故この話をするかっていうと……ほら、見ろ。ココだ。
 ああ、そうだ。うっすらだが、痣が出てるだろう。
 
 そっくりなんだ。あの夢の、弟たちにあった痣と。
 弟たちにも痣が出てきたんだ。
 
 しかも………あいつら、俺の首筋を……そう、ココだ。
 撫でるんだ。執拗に。
 くすぐったいからやめろと言っても聞かない。
 
 そうしたら、そこにも薄っすらと痣が浮かんできた。それを見て、何がおかしいのか、弟たちは笑うんだ。
 
 
 
 情けない話だが、怖い。恐ろしい。
 弟が、恐ろしい。まるで――あいつらがひとではないようにすら思える。
 
 ああ! 俺はいつか狂ってしまうかもしれない!
 あの二人の弟に―――縁壱・・に狂わされるんだ!